序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2018年 11月 01日
大学入試が色々変わるらしい。とりわけ英語は「読む」「聞く」「話す」「書く」の4技能評価を導入だとか。 「グローバル化が急速に進展するなか、英語のコミュニケーション能力を重視する観点から、大学入学者選抜でも4技能を評価する必要性が示されてきました。現行のセンター試験は「読む」「聞く」の2技能の評価に留まっているとされ、新テストでは4技能を評価する方向で検討されてきました。しかし、センター試験のような大規模な集団に、同日に一斉に「話す」「書く」に関する試験を実施するのは難しいものがあります。そこで、すでに4技能評価を行っている民間の資格・検定試験を活用することが提示されました。(河合塾サイトより)」 ということになっていて、その民間試験の結果提出を必須にしないという東大の決定がそれなりのインパクトをもたらしているよう。 入試改革をすることで、それに呼応する形で中高の英語教育のあり方が変わることを副産物的に狙っているようだけれど、それって順序が逆なのでは、というのがまず一つ。急にスピーキングとライティングと言われて現場の大混乱は必至だし、となると、塾や予備校、海外留学など、財力や機会に恵まれる子供たちが自力で入試準備をする方向になることも必至。貧富の差や都会と地方の差が如実に現れることは間違いない。 また「グローバル化」なるもの、かれこれ少なくとも20年くらい前から世界には(やだけど)厳然とあるわけで、いまさら急に慌てて改革といわれても、という気がする。「有用な人材を育成して国際競争力を高める」という使い古された言い回しとコンセプトの焼き直し感にうっぷとなるし、もちろん、語学の勉強は人材育成の同義語じゃあるまいし、とも思う。 さらには、「英語のコミュニケーション能力」、いや、そもそも「コミュニケーション能力」とは何なのか、という問題がある。日本の外で30年くらい暮らしてきて、英語を始め、多数の言語と触れ、それらと共存する人生展開に図らずもなってしまった。そんな自らの来し方を振り返るにつけても、言語の習得の意味ってなんなのか、という問いは、日常のサバイバルのレベルを大きく超え、もう自分の存在そのものに関わるといっても過言でない、それほどに根源的な問いになったことを痛感する。 人はどうやったら、まず母語で、次いで外国語でコミュニケーション能力なるものを身につけ、育てていくのか。そのプロセスを、自らの茨の道(ほんと、大変だった、いや今もその道は続いている)を通して、また多言語環境で生きる多くの人々の言語習得過程を観察し、またささやかながら人様に言葉を教える(フランス語)という経験を通じ、ずっと考えてきた。そうした背景もあるせいだろう、たかが遠い祖国の、自分には全く関係のない入試改革といえど、やはり無関心ではいられないのである。 そんな矢先、阿部公彦さん(東大教授)と中島京子さん(作家)の対談「受験生を利権の被害者にしてはいけない」を読んだ。 阿部公彦さんの持論「日本語は話し言葉と書き言葉が乖離している」には私もかねてより大いに共感を抱いており、「どれどれ、どんなことをおっしゃるだろう」と興味津々。ホスト役中島京子さんの巧みなツッコミや質問も功を奏して実に腑に落ちる内容だったが、その中にこんな記述がある。 中島「自民党の遠藤利明議員は「中高六年間も英語をやってきたのに、パーティーでワイワイ英語がしゃべれない。そんな英語教育を直しましょう」という持論を改革の根拠にしています。」 阿部「日本語でも、友だちとの井戸端会議みたいなおしゃべりなら日常的にしていると思いますが、知らない人の前できちっと手順を踏んで論理的に物事を話すのは結構難しい。そのための特別な訓練が必要です。 (中略)仮にスピーキングの試験を導入するとしても、まず日本語でやって、発展段階として英語でやる。それが筋だと思うんです。日本語ですら経験のないことを、いきなり英語でやろうとしている。それで英語力が上がるというのだから、もうちゃんちゃらおかしいとしか言いようがありません。」 (中略) 中島「遠藤さんが目指す「パーティーでワイワイ」のようなインフォーマルな会話は、じつは難易度が高いと、阿部さんは書かれていましたね。」 阿部「そもそも西洋には歴史的に公の場で口頭でいろんなことを決めてきた伝統があるんです。ギリシャやローマの時代に、レトリックをふんだんに使ったパフォーマンスを人前で行う技術が発達した。その技術が後世に伝授されてきました。二千年以上の歴史の延長上に、今のパーティーワイワイがあるんだと思います」 「パーティワイワイ」には笑ったが、その「パーティワイワイ」なるものを現在の私は、英語やフランス語でまあなんとかできている(ドイツ語では今だに難しい)。けれど、ここまでこぎつけるのは実は全然簡単じゃなかった。 帰国子女でもなんでもなく、普通に学校で習った英語しか知らなかった私は、ごく普通に英語が下手くそだった上、日本人的な「恥ずかしい」メンタルの克服の問題もあった。 さらに阿部氏が指摘するように、英語やフランス語、ドイツ語で、ちょっとましなことを言おうと思えば、すでに頭の中が作文みたいになっていないとなかなかうまくいかない。つまり言文一致に近い状態がデフォルト。話しながら考える、考えながら話す。話していることをそのまま口述筆記して意味が通る。そういう構造になっているからだが、そのような身体反応に自分を持っていくことも、これまた難しかった。 逆にいえば、日本語の話者のおしゃべりをそのまま文字にしたら、多くの場合、作文としては大変おかしなことになってしまうということをその過程で知った。おしゃべりならず政治家の答弁のような公のパフォーマンス的なものでさえ、とりわけ、常套句のパッチワークで中身に乏しい答弁がすっかり普通になってしまった昨今は書き起こしたらとんでもないものになることが多い。これを英語やフランス語に訳せと言われたら、どれだけ通訳者がインプロヴァイズして間の言葉や理論を補わないといけないか。そもそも、通訳者が元の話にないものをそんなに補っちゃって良いものなのか。 「つかあ」「まじ?」「やべえ」「なんかあ」的な発語を私は決して否定するものではない。「つかあ」にも「まじ?」にも、その後ろには言葉にならない感情なり理論なり描写なりが潜んでいるものであり、ただ、日本語の話者は一般にそうした言葉にならないものを、そのままの状態で後ろに引っ込めたまま、なんとなく会話が成り立ち、おしゃべりしている実感もそこそこにある。そういう言語なのだ。ところがこれがヨーロッパ語ではうまくいかない(ヨーロッパ語以外の言語を私は知らないので、ここではヨーロッパ語に限定して話を進める)。書くように話さなければ意味がわからないのである。 パーティワイワイといったって、挨拶とか天気の話ばかりじゃ全然間が持たない。相手の目を見て、興味関心の共通項を見つけ、軽やかなところから始め、興が乗ってくれば政治から芸術まで、なんの話だって構わない。時にチャレンジングなツッコミもすれば、ブラックなジョークも言う。それら全てが書き起こしてもそれなりに意味が通っていること。それが肝なのである。 だいたい9歳くらいを境に、人は母語のように言語を学ぶことは不可能になると言われる。おうむ返しメソッドはもはや通用せず、だとすれば、それ以降の語学習得にはその語学の構造をきっちり学ぶ以外に方法はないのである。構造をきっちり学んだ上で、あとは練習と場数。そして観察力。それに尽きる。 ヨーロッパには多くの移民や難民が暮らしている。移住先の言語を、学校に行ってきちんと学習したか、あるいは道端で覚えたかによって、その人の言葉には雲泥の差が生じる。いわゆるブロークンでも、その人のコミュニケーション能力やチャーミングな人柄によってはかなり挽回できるけれど、ある程度の語彙がなければ話は深まらないし、仮定法や条件法などの時制がマスターできていなければ、願望や悔しさといった感情の襞を表現することはほぼ不可能である。 他方、発音にせよ、構文にせよ、子供時代からのバイリンガル、マルチリンガルでさえ、手持ちの言語が互いに影響を及ぼしあうことは免れない。外国語を一つ習得するだけ、その人の母語は、「それ以前」とは多かれ少なかれ異なるものになる。モノリンガル話者の揺るぎないはずの母語でさえ、その後の人生で他言語をある程度以上の深みで習得すれば、ぐらぐらと揺らいでくるのである。 以下、長年の多言語環境暮らしでよーくわかったこと。 1.発音は重要ではない。色々な訛りがあり、それでよいのである。「ネイティブのように」を目指す必要は全くなく、通じるように話せばいいだけのことである。仮にRとLを、VとBを間違えちゃったとしても大概は通じるし、もし通じなかったら他の言葉で言い換えたり、補足説明を加えればいい。 2.習得言語の構造をよく理解することは非常に大切だが、母語の構造が時にそこに介入しておかしな構文になったとしても、意味はわかるのでこれも構わない。ただし、文学的記述をするような際は、その一文字、その句点ひとつあるかないかが大きな差異になったりするのでなお一層の精進が求められる。 3.とにかく、母語でも「書くように話す」ことがある程度できていることが大切。ここのところ、日本の教育に決定的に欠けている要素だと思う。国語の教科で「作者の思いや意図を想像する」のはやめて、「ここにはこういう挿入がある、それはなぜか、といったようなことを時代的、社会的コンテクストの中で検証したり仮説を立ててそれを論証してみたり、そしてそれを文章にすると同時に、人前で発表すること」あたりをもう少し習うといいんじゃないか。母語で「書くように話せる」ようになれば、「パーティワイワイ」はもうあと一歩のところにあるのである。もちろんそこには語彙を増やし構造を理解するために、そして耳や目でコンテクスト付きにその言語に慣れるために、ある程度の時間を投資する必要はあるのだけれど。 4.自分の日本語がここ30年の間に変化発展したことを痛感する。軽いおしゃべりであったとしても、どこか「書くように話し」ていることが多いし、発音もこっちが昔のままでいる間に日本ではいくつかの音が時に微妙に、時に大きく変わった。外来起源の語彙については、その「元の言語での意味や用法」を知っている場合、自分の中に混乱が生ずる。 まあそんなことも含め、語学の習得とは、迷子になったり発見したり、妙なところで感動したり、思わぬ表現を紡いだりしながら、母語と外国語の間を常に行ったり来たりする「生涯旅人」人生への船出であることをつくづく思う。「パーティペラペラ」など、そのほんのオマケみたいなもんで、本筋はあくまで「生涯旅人」の方、そのエキサイティングで豊かな反面、少し不安定な存在の方なのである。
by michikonagasaka
| 2018-11-01 23:04
| 混沌マルチリンガル
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