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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2019年 09月 18日
ソーシャルメディアのタイムラインに流れてくる無数の言葉の連なりから、それでもなんとか、この頃の日本の空気というものを読もう、体感しよう、と努めるにつけ、やるせない気分になる。もしかしたら誇張された一部切り取り的な絵を私は見ているのかもしれない。だがその絵の向こうに広がる、鳴りを潜めた人々の息遣いや声にならない声は、これが私が生まれ育った国なのか、という驚き、そして失望と哀しみに直結する。
それにしても、なぜ、私は失望し、哀しむのか。オルバン政権下のハンガリー、トランプ政権下のアメリカ、ネタニヤフ政権化のイスラエル、そして香港で今現在起こっていること、ザクセンやブランデンブルクの空気。そうした世界情勢の断片の一つ一つがもちろん私の憂いの要素になっていることは間違いないのだけれど、とりわけ日本の現状は応える。ズキンズキンと身に心に応えてしまうのである。対岸の火事と知らん顔を決め込むことのできない何かがそこにある。 昨今の日本で政体や時の為政者、その政策や思想(または思想の欠如)などを批判しようものならすぐに飛んでくる「反日」「非国民」「売国奴」といったボキャブラリー。私のようなマイナーな物書きのところにすら、そうした罵声はしばしば飛んでくるのであり、その度に「は? なんで?」とその罵声の主が信じて疑わない「日本人」というアイデンティティとやらに愕然となる。いや、罵声は遠くの見知らぬ人から飛んでくるのみならず、すぐ近いところで、親しい人から何気なく放たれる「嫌韓」的な一言の中にも潜んでいる。彼らがそこまで必死にすがろうとする「日本人」というアイデンティティとはそもそもなんなのか。 たまたまある土地に生まれ落ち、その結果としてそこの国籍を取得するところまでは完全に偶然の賜物。その後、その国(土地)の言語や文化、社会の仕組みの中で暮らし続けるところから育まれる愛着や居心地の良さは後天的なもの。とはいえ、何れにしても、自分が意志的に選び取ったものでないことは確かだ(その点、止むに止まれぬ事情、またはある種のチョイスによって移民する場合は意志が介在してくる)。偶然とその後のいわば慣性の法則的な流れによって醸成されるらしいアイデンティティをもってして、なぜ別の偶然によって生まれる別のアイデンティティを嫌ったりバカにしたりすることができるのか。何をもって自分の偶然的アイデンティティとそれ以外のものについて優劣をつけうるのか。 そんなことをあれこれ考えていた矢先、素敵な番組を見ました。 先週金曜日、9月13日はクララ・シューマンの生誕からちょうど200年。この機会にドイツはもとよりフランスやスイスでは(そしてたぶん他の国でも)ラジオやテレビで特別番組が組まれていました。そのうちの一つ、これは独仏共同の文化放送局ARTEの共同制作番組。 シューマンの妻であると同時に類いまれなるピアニスト(同時代、リスト以外に肩を並べうるピアニストはいなかった由)であり、作曲家であり、そして8人の子供の母親でもあったというスーパーウーマン、クララの生涯を美しい映像と貴重な資料やインタビューで構成した秀逸な番組。 ドイツ語かフランス語が分かる方はぜひご覧になってくださいね。 で、この機会に改めて思ったのですが、こんな共同放送局を発足させ(公共と思っていたら私企業だったのですね)、素晴らしい番組を両国が作り続けてきた背景にはおそらく先の大戦の記憶と反省があります。敵国同士だった両国が、もう二度とあんな惨禍は起こすまい、と決意を固めた結果、欧州連合が生まれたわけですが、公営私営問わずこうした文化的な共同作業の歩みもまたその決意の現れとして位置付けられ得るでしょう。 音楽を始め、文化芸術がかつての敵国を一つにする。なんと希望の持てる努力の形でしょうか。 翻って、日本と韓国の間の昨今の状況は本当に一体どうしたことなのか。正気とは思われないヘイトの煽動。乗ずるメディア、煽られて乗っかる人々。 なんでも欧州を見習えと言うつもりは毛頭ないけれど、ご近所同士、共有する文化的遺産や伝統、価値観やライフスタイルがあり、けれど違いもたくさんあるお隣さんと仲良くしなくてどうしようというのでしょう。才能に溢れ、けれど苦渋や困難とはずっと縁の切れなかったクララの生涯を追いながら、そんなふうに色々もの思わずにはいられませんでした。 大昔、パリに住んでいた頃よりARTEは大好きでしたが、あの頃は地上波で夜間だけの放送でしたっけ。デジタル放送もなければ、こんなふうにシェアするようなことも想像だにできず。デジタル版も両国の知恵やデザイン、最新のテクノロジーを上手に組み合わせてとても使い勝手の良い出来になっています。 日韓でもこんな共同放送の仕組みができたらどんなに楽しく豊かなことでしょう。
by michikonagasaka
| 2019-09-18 05:47
| 考えずにはいられない
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