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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2019年 12月 30日
以前、「難民と生きる」という本を書いた時に取材させてもらったCさん(ドイツ在住)と久しぶりに話す機会があった。あの時(2016年当時)、彼の家に住んでいたイラクからの難民一家には、その後、二人目の赤ちゃんが誕生し、難民申請も無事通過した(良かった!)。あと数年経って本人が希望すればドイツ国籍(ということはEUパスポート)の申請も可能なのだという。
その一家、今も変わらずCさんの家に住み続けており、家賃も払っているのだが、彼らは仕事をしていないそうである。ドイツ語もあまり上手くなっていないらしい。家賃は国から支給される難民支援のお金から十分に賄える金額であるとはいえ、さらなる行動や移動の自由を広げるために、そしてドイツ社会の一員となるために、何か仕事をするとか勉強するとかすればいいのに、とCさんは気をもむ。気をもむけれど、相手は子供じゃないし、自由意志を持った個人なのだから、ああせよ、こうせよ、と指示するわけにはいかない。
「なかなかね、難しいよ」 善意で始めた難民支援の多くが、こうした壁にぶつかることを、私はあの時知り合った人々の証言を通し、また私自身がスイスで関わっているささやかなボランティア活動を通じて痛いほど知っている。 そのCさんがいう。 「僕らがこんなに大切だと思っている自由、その不可侵を信じて疑わない自由ってなんなんだろうね」と。 Cさんの仕事の同僚に、中国人女性Mさんがいる。ドイツ本社勤務を経て、現在は上海支社勤務。英語はもちろんのこと、ドイツ語にも堪能。聡明な上、「一年後、五年後、十年後の自分はこうありたい」という具体的目標がとてもはっきりしていて、そこに向かって進む姿には、およそ無駄というものがない。Cさんの家に住む難民一家の「無為徒食」的なのんびり人生とのコントラストは鮮やかなんてもんじゃない。 でも、とCさんは思う。仕事もある、お金もある、目標もある、けれど、自由民主主義的な意味での自由が彼らにはないじゃないか、と。ネット上でもリアルでも検閲ということが日常的にあり、自分の行動が始終筒抜けで監視されているような状況に一体どうしたら耐えられるのだろうか。香港での抵抗運動に、彼ら本土の中国人のマジョリティは決して公の場でコメントを口にしない。いいとも悪いとも言わない。政治的な意見をうっかり口にすることもできないというのは、これまたなんと不自由なことなのだろうか、と。 率直なCさんはその疑問をMさんにぶつけた。するとこんな答えが返ってきたという。 「私は自分の状況を特に不自由だとは思わないわ。それよりドイツのあなた達の方が、法律で禁止されているわけでもないのに、リストラで社員一人クビにするにも頭を悩ませたりして、なんだかとても窮屈に見えるけど」 生真面目なCさんは、ここでまた悩む。そして口には出さず、心の中で独りごつ、とはいえ、従業員一人をリストラする際に葛藤や苦悩を持てる人間であり続けたいものだ、と。 ※ 暮れも押し迫った12月吉日。チューリッヒにて今年最後の映画を見に出かけたところが、これが図らずも、my best film of the yearとなった。それまでのマイベストはケン・ローチの「家族を想うとき(Sorry, we missed you)」だったが、それをゆうに抜く素晴らしさだった。 原題はHors Normes。直訳すれば「規格外」。いずれ日本でも公開されるだろうから詳細は省くが、こちら、Untouchables(邦題「最強のふたり」)を手がけた監督ペア(エリック・トレダノとオリヴィエ・ノカッシュ)による最新作。 強度の自閉症等の青少年達が、病院、施設、学校といった公的なシステムから「締め出されていく」現状の中、そんな彼らの受け皿を担うホームを立ち上げ、運営するブルーノ。方や、パリ郊外の「荒れた街」でチャンスを掴む術もなく、やはり社会からどんどんこぼれ落ちていく若者達に、「働く場所」「学ぶ場所」を提供しつつ「破れかぶれの状況」から救い上げようと奔走するマリック。ブルーノのホームにマリックの落ちこぼれ青年達がヘルパーとして関わることで、万年資金難の両ブロジェクトはなんとか回っていくのだが、そこにシステム側からの検査が入る。不認可、微妙な衛生状態、無資格人材の雇用、などなど、彼らの活動が公の基準を満たしていないことが問題視され、法や制度に則ってお上の側から彼らのプロジェクトにはついに「営業停止」命令が下るのだが・・・・・。 ストーリー上、ブルーノはユダヤ人コミュニティに属し、マリックはムスリムコミュニティに属していることになっており、それぞれの文化やライフスタイルがフランスのメインストリームの脇でひっそりと、けれど逞ましく陽気に居場所を得ている状況が主題の向こう側で通奏低音として有効に流れる。そしてそんな彼らが「受け入れる若者達」にはコミュニティもへったくれもない。毎日生き抜くだけで精一杯だからだ。 社会の「規格」から外れるという意味では、ハンディを抱える青年達やその家族、郊外育ちの落ちこぼれ達、そしてブルーノとマリック、二人のモグリ組織も同じこと。規格ってそもそもなんなのか。そして規格外と烙印を押された個人、この社会に居場所のない人間たちは一体どうやっってサバイバルすればいいのか。 「家族を想うとき」同様、こちらもまた、いわゆる「社会派」というカテゴリーに分類される要素を多分に持っているが、「家族を想うとき」に比べると、社会悪とか社会不正への糾弾トーンはかなり控えめで、その代わりに、どんな登場人物にも「人間らしい感情」、つまり迷いだったり、後悔だったり、絶望だったり、諦念だったり、罪悪感だったり、色気だったりというものを説得力ある仕方で備わせているところがとても良かった。 世の中、そんなに簡単に勧善懲悪で仕切れない。けれどたまたま同じ時代、同じ場所に生を受けた人間同士、なんとかやっていかなければ、なんとかやっていきたいじゃないか、という根源的な願いが抑えても抑えても吹き出てくること、そしてそれを叶えようとそれぞれの分野で、ときにヒロイックに、ときに無言で、ときに、小さな勇気を振り絞って生きている人間たちがいるということ。そんなことを、優しいユーモアのタッチをあちこちに散りばめながら見せてくれた映画だった。はっきりしたメッセージを声高に放つわけでもなく、淡々と丁寧に「人々」を描いた先に、「これ」という結論もカタルシスももたらされないオープンエンドな終わり方、というフランス映画の王道を行く作り。制作に先立ち、実存の施設に監督二人が2年間、具体的に関わり、観察し、多くの体験を共有するという準備期間があったという。 ※ ![]() シンガポールの友人があるときこんなことを言っていた。話はチューインガムが禁止だの、ドラッグは死刑だの、「なにそれ?」というがんじがらめの法制度に私が軽い疑問を呈したときのことだった。 「いやさ、何しろ我々の多くはもともと中国民族からきてるからね。法や厳罰でがんじがらめにしないことにはとんでもない無法地帯になっちゃうと思うんだよ。このくらいがちょうどいいのさ」 うーん、そうなのか? とその時はよくわからなかったし、今もまだ、だからといって法や厳罰、それにセンサーシップで抑え付けられた社会なんてのは私はやだな、やっぱり、という心情に変わりはない。 かたや、あちこちに気を遣い、忖度し、口をつぐみ、同じリクルートスーツを着、タピオカに一斉にどよめき、パワハラ、セクハラ、マタハラ、モラハラ、ブラックにあまり文句も言わぬ日本人。シンガポールのケースとは逆に、こちらは憲法や法律でしつこいほどに「自由」を保証しておかなければ、きっととんでもないことになるだろう。いや、それでも平時には(というのは戦争がないとき、ということだけでなく、経済や社会が比較的、順調にいっているような時も含む)、協調性とか和を尊ぶ文化のポジティブな側面が出てくるけれど、ひとたび、余裕がなくなってくると、これはかなり窮屈な足かせとなって、報道の自由を狭め、公務員の公正をゆがめ、教育の場や職業の場、そして家庭や友人関係といったところにまで息苦しさをもたらす。 弱いものがさらに弱いものをいじめたり差別したりという構図があちこちで勃発し、スケープゴートをみんなで寄ってたかって制裁する、そうして溜飲を下げるという、およそ高貴とは程遠い行動パターンが蔓延する。本屋の店頭に平積みされるヘイト本の数々、電車の中吊り広告で覗き見る、井の中の蛙の島国根性丸出しの恥ずかしくて無知な雑誌記事のタイトルの数々。難民ということで言えば、入管で行われているらしおぞましい人権無視の処遇の数々。 ここまでひどかったっけ? と、昭和の日本の景色をなるべく公平な仕方で思い起こそうとするも、遠い昔のことすぎて正直、よくわからない。 上記の映画では、結局、お役所側が「現状に鑑みれば彼らのような活動の存在意義はないとはいえないだろう」という(ちょっと苦し紛れな、でも大いにヒューマンな)オフィシャル見解を示し、諸々の「不都合点」を「黙認」したことで、ブルーノのホームは存続が可能になり、そうして多くの個人の人生が「最悪なものになること」を免れた。フランスならではのこうした「賢明ないい加減さ」、いざという時にアドリブやインプロヴィゼーションが機能する、そういう自由度の高い文化や習慣に長けていない日本であればこそ、ひとたび法のプロテクションにヒビが入った時、自由がいかに脆いものになりうるか、想像するだに怖くなる。ただでさえ、暗黙の規格の網が縦横に張り巡らされたタイプの社会。規格外であることが、フランスなど比べ物にならないくらいにハンディとなり、糾弾されたり後ろ指さされたり、静かに無視されたりするタイプの社会であればこそ、憲法や法で二重にも三重にも表現の自由、信教の自由、集会、移動の自由その他、あらゆる局面での自由が担保されていなければ、とんでもないことになってしまうんじゃないか。余計なお世話かもしれないけれど、あまりに危なっかしい政治やメディアのあり方を眺めつつ、そこのところ、どうにも心配なのだ。 いい映画を見たよ、という話のつもりが、思わずあちこちに脱線してしまった。そんな脱線ついでに改めて思う、Cさん宅のイラク難民さんたちが、やっと手に入れた自由を享受できることを祈りつつ、でもその自由の中にはもちろん「規格外でいる自由」や「怠ける自由」も含まれていることを忘れてはいけないな、と。自由はなくなった時、その一部が欠けた時にに初めてそのありがたみがわかるものなのだろう。とりわけ、一度、ちゃんとした自由を味わってしまったことのある人間にとっては。 ※ 今年もまた、良い映画や良い本、良い音楽、良いお酒や料理、その他、全ての良き出会いに恵まれた幸せをありがたく思っています。他方、あれこれできなかったこと、しくじったこと、後悔するようなことも当然ながらいろいろあります。ともあれ、今年一年、あちこちで私が書く拙いものをお読みくださり、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いします。
by michikonagasaka
| 2019-12-30 02:27
| 身辺雑記
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