序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2020年 03月 22日
(コロナ監禁生活 day 6) 実は、数時間前にずいぶんと時間をかけ、ファクトチェックも抜かりなく、この度のコロナ騒動についてのスイスからのレポート、的なブログ記事を書いたのですが、その執筆中に、監禁生活で苛立ちが募っている家族の人たちがそれぞれに、電話や直接の訪問で闖入してきて、ヴァージニア・ウルフのA room of one's ownの中の有名な一節(や、それほど有名でない他の箇所)を思い出しながら、でもそこはぐっとこらえて「丁寧な聞き役」に徹し、晴れて一人になった段階でさあ、いよいよアップするか、と保存ボタンを押したところ。。。 詳細は省きますが、ともかくwifiの不具合により、全てが消えました。記憶をたぐり寄せながら同じようなことをもう一回書く気力はないので、まったく新たな気持ちで再トライ。 その失われた記事では、わずか一週間ほどで、ここスイス、および近隣諸国においてどれほど急激に状況が変わり、それによって、人々のライフスタイル、そして自分自身の心の状態がどのように変化順応していったか、といったことを時系列で辿った上で、「それにしても、日本、本当に大丈夫なのか?」という疑問を提示する、というのが、大雑把な筋展開でした。 そこでは私自身もいたく感動したメルケル首相のスピーチや、マクロン大統領の「大丈夫です、失業したり、破産したりということは誰一人として起きないように私たちがみなさんを守ります」の啖呵、そしてこちらスイスにおける、冷静沈着、そして丁寧で真摯な連邦内閣の連日の記者会見の様子などを伝えつつ、そして、日に日に厳しさを増す「お達し」の数々や大統領から国民へのメッセージなどを紹介しつつ、さらには表面的には目につかない、けれどとても大切な難民や移民を保護する動き(これは私が個人的に体験したことでした)などにも触れ、要するに、欧州やアメリカなど、自分が知り得る具体的な実体験を通して、事態はいかに深刻かということを綴ったものでした。 深刻である反面、民主主義の根幹である「個人の自由」という大切な価値観とのせめぎ合い、その苦渋に満ちた選択ということ、そして、その選択の背景を出来うる限りの透明性、アカウンタビリティに依拠して国民に開示し、国民の協力を仰ぎ、医療関係者や配達、工事、スーパーのレジ、といった持ち場で頑張っている一人一人への感謝を表明する、そうした信頼に足る政府の姿勢ということにも触れました。 そんな記事を書いていた矢先、例えばこんな記事と写真↓が飛び込んできます。ピリピリした空気の中に暮らすこちらは目が点になります。 大丈夫なの? 本当に? 私は難しい疫学のこととか、統計のこととか、ましてや経済的なダメージのことなど、本当によくわからないので、何かを断言することなど到底できません。けれど、どうやらこのウィルスが引き起こしているらしい出来事、そしてそれに対応する各国の「第二次大戦以来の緊急事態」という態度の中で日々暮らしていると、日本から流れてくる「美味しいご飯」「お花見」「オリンピック」「みんなで乗り切る」みたいな言説やヴィジュアルのどれもこれもが、まるで別世界、おとぎの国の光景に見えてなりません。 二週間ほど前に、それまで呑気だったトランプ大統領が「ヨーロッパからの渡航禁止」を発表したあたりから、緊迫感は実に個人的な仕方で私の暮らしを襲い始めました。長距離フライトをほぼ全てキャンセルしたスイス航空。もはや日本に行くこともできません。つまり、日本の老母やロスの息子に何かがあったとしても、そこに駆けつけることは不可能なのです。 スイスや近隣諸国が依拠しているデータは、イタリアのものであり、韓国のものであり、中国のもの(ある程度、差し引きした上でですが)です。日本のデータは、あまりに検査数が少ないので、それを元に「何かを判断する」ことができないもの、として通常、除外されています。つまり、実際のところ、どうなっているか、というのがこちらにいると全くわからない。 先日、ロックダウン直前のパリで、ドキドキしながらそれでもパン屋さんの列に並んでいたところ、背後から日本人女性二人の声が聞こえてきました。どこかで見たか聞いたかして、2018年全仏ベスト1クロワッサン賞に輝いたその店(たまたま私のアパートの近所)を訪れたのでしょう。いかにも楽しげに、ウインドーに並ぶお菓子などを物色しています。この彼女たちは、果たして、フランスの大統領が前夜に発表したことを知っているのだろうか。国境が閉鎖される前に無事、日本に戻れるだろうか。自らも感染者になって帰国する危険性に気づいているだろうか。 私の懸案が杞憂であることを祈りますが、少なくとも欧州在住の邦人たちがこれは共通に心配していることです。オーバーシュートとかいう、疫学の世界ではまず使われないタームが先だっての専門家委員会の報告書には出ていましたが、その意味するところは一体なんなんでしょうか? 蟄居の日々。私はもともと引きこもりのライフスタイルなので、さして変化はないとはいえ、それでも友人に会ったり、町のバーで一杯飲んだり、コーラスの練習に行ったり、ヨガやバレエのレッスンに出かけたり、ができないというのはなかなか寂しく窮屈なことです。けれど、とりあえず、パリに行ったり、ロックダウンの直前まで、普通にレストランなども行っていた自分が症状なしの感染者であったとしても全然不思議ではない。そこがそもそも蟄居の原点。つまり、自分はまあいいとしても、高齢者や持病のある人に移してはいけないし、スイスの医療システムをパンクさせていはいけない。ただその一点で、私も、そしてその他多くの人々もみんな家の中で息を潜めて暮らしているのです。お花見も復活祭もありません。春の日本行きも当然キャンセル。残念だけど仕方ない。運動不足でこりゃ太るわな、とか思いながら、でも他にレジャーもないので、ご飯を作っては食べ、ワインのボトルを開けては飲み干し、みたいな毎日です。わずか二週間ほど前まで、ほぼノーマルに暮らしていたことが、ほとんど理解しづらい。それほどの激変。それも驚くほどの速度での激変。それは明日からもまた、続いていくことでしょう。 ともあれ、この騒ぎが少しでも早く収束し、カフェのテラスで乾杯できることを心待ちにしつつ、遠い日本の無事を祈っています。 最後に、カミュの「ペスト」を二十数年ぶりに再読しましたが、さすがに臨場感が迫ります。数ヶ月のペスト猛威が終息しかけるタイミングで街に現れる猫。日々、患者の治療に明け暮れる主人公とその友人が、ある夜、海で泳ぐシーン。主人公と母親との会話。次第にアパシーの状態に落ちていく人間たち。別離とその後。ヒロイックな行為と、シンプルな善意。変わる人、変わらぬ人。それぞれのビフォー&アフター。そして、そうした諸々にもかかわらず、人間という種全体への愛着と信頼。そんなことを思いながら一気に読みました。私は家にあった原語で読みましたが、そろそろどこかから新訳が出るといいのにな、とも思ったことでした。
by michikonagasaka
| 2020-03-22 08:13
| 身辺雑記
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