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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2009年 01月 05日
といっても、リリー・フランキーが出ている映画「ぐるりのこと。」ではなくて、本の「ぐるりのこと」のほう。まったく同じタイトルでややこしい話だが(といっても実は映画のほうには微妙に「。」がついているのだが)、本のほうは映画の原作でもなんでもなく、梨木香歩という作家のエッセイ集。
いつ買ったのかも覚えていないその小さな本が、本棚の片隅に横たわっている(「そのうちきっと読もう」と思っているポテンシャル本は、私の場合、立てかけないで、こうして横たえておくのが長年の習慣)のがふと目にとまり、イスラエルへの旅へ連れて行った。それが思いのほか、かの地における私の心のありように響くところがあって、ちょっとそのことを書いてみようと思い立った。「ぐるり」とは「身の回り」という意味なんだそうで、つまりこれは著者の身の回りで起こったり見聞きした出来事を発端に、思いの地平線をずうっと広げていって、戦争のこと、残虐な事件に代表される世相のこと、宗教のこと、言葉のことなどへとそれを届かせていこうとする、そんな断片を集めたもの。イギリスのセブンシスターズの断崖でドーバー海峡の風に吹かれながら友と交わした会話、トルコのモスクでのへジャーブをかぶった女たちとの出会い、イラク戦争の衝撃、少年少女による殺害事件への強い思い。そういった話が、それぞれ独立した形で、けれど全体としては「ぐるりのこと」というコンセプトで束ねられる形でまとまっている。 その中に生垣の話が出てくる。著者は子供のころから生垣の中に閉じこもることが好きだったそうで、その安全な隠れ家的な心地よさの中に身をおきながら、生垣の「中」から、生垣の「外」(外界)を眺めることについて、その思いをつづる。折りしも私はイスラエルという、この古くて新しい国に身をおき、夫の父がたの親族郎党がぞろぞろと群れ(tribe)をなす中に、一人、このアジア顔で紛れ込んでいる最中。tribeの中にいながら、tribeの外であるポジションの持つ不思議な魔力についての言葉にできない思いをもてあそんでいたところだった。 「身内」と「よそ者」という感覚は、著者が指摘するとおり、身内の中にとどまっている限り、一種の安全、安心感を提供してくれる。ちょうど生垣の中にいる限り、安全と感じるように。それは、我ら人類が太古の昔から慣れ親しんできた、いわばサバイバル手段だ。そして身内の歴史は、伝統やしきたり、言い伝えになり、ひいては国家や宗教になる。反対に「よそ」には「よそ」の伝統やしきたり、言い伝えがあり、ひいてはそれは友好国や敵国、反目する宗教や文明へとふくらんでいく。 イスラム教のベールに覆われた女たちをベールの外側から眺める者の「印象」や「ジャッジメント」と、ベールの内側で生成される彼女たち自身の思いとの間には、なるほど著者が指摘するほどの隔たりがあるに違いない。自分と違うもの、外のもの、未知のものを、自分が慣れ親しんだ基準や標準でジャッジすることの傲慢さ、浅はかさを、そうした思考は気づかせてくれるが、同時にそれはまた、底なしの虚無感をもついでにつきつけてくる。 ちょうど私がイスラエルに到着してから二日後。ガザ地区ではじまったハマス派の砲撃と、イスラエル側からの報復爆撃はその後も止むことなく、イスラエルを後にした翌日には、とうとう地上戦にまで発展してしまった。 「ああ、またか」 よそものの私のその思いを、イスラエルの友人や親類たちも、それぞれの形で共有しているようだった。それは「まったくしょうがないなあ」というあきらめと、うんざりと、哀しさ、そして少しの皮肉が入り混じった虚無感にほかならない。 長い間、自分たちの国家というものをもたず、世界に離散し、ときに迫害や大量殺戮の憂き目にもあってきたひとつのtribeに属する人間にとって、その帰属意識、継続への強い意志こそが、サバイバルの大きなモーチベーションだったことは間違いない。オリンピックで自国の選手が活躍すれば思わず心が浮き立ち、誇らしさに昂揚するのと、それは一つの線でつながる意識だ。あるいはわが子が立派に成長するのを喜んだり、OECDの国別学力テストの結果に一喜一憂する意識、子供たちの(いや、大人の世界にもそれは同じようにあるな)仲間はずれやいじめの意識ともつながっている。それはまた、「純粋」を志向し、混じりけを排除しようとするものでもある。自らのtribeの優位を感じたいと欲するものでもある。そして身内を守り、大切にしようとするものでもある。 家族とか伝統といった、通常は「ポジティブ」に語られるものに潜む、ネガティブな媚薬のような要素について、今回の旅は私にさまざまの思いをもたらした。私自身は、たまたま自分が生まれ育った国をはなれ、その外で長い時間を暮らしているせいもあり、また自分とは異なる宗教や母語をもつ人と近しく接する機会に多く出会ったせいもあるのだろう。会社や学校といった組織に身を置かなくなって久しいというせいもあるかもしれない。ともかく帰属意識というものがかなり希薄な人間であることを自覚している。あるいは、もしかしたらそれは、遠い青春時代に、自分がカンフタブルに帰属できる「カテゴリー」をどうしても見つけられなかったという苦い(当時はそれを「苦い」ことととらえていた)体験に端を発してることなのかもしれない。 けれど反面、世界が画一化されていく方向というのにはどうしたって抵抗したい気がするし、英語、および英語圏的価値観の一極支配的構造にも、なんとか踏ん張っていたい気がする。ユダヤ人の多くが備えている驚くべき芸術的な感覚とか、日本人の多くが備えている並外れた繊細な感覚、といったような、あるグループに顕著な特性(長所ばかりとはもちろん限らない)を決して否定しないものだし、またそうした特性を保ち続けていくことにある種の美的なものを感じるものでもある。 あーあ。だから話はややこしいんだよね、と思う。 私自身の思考パターンも、そういえばいつも「ぐるりのこと」からはじまる。大昔、哲学者を志した(!!!)ものの、その道を結局は断念した理由も実はこのへんにあるのではないかな。「ぐるりのこと」に引き寄せてみなければ、ちっともぴんとこない。けれど「ぐるり」だけで完結してしまっては逆に、まったくおもしろくないので、そこからもうちょっと普遍的な次元にジャンプしてみたい。 梨木香歩という人の本を読むのはこれがはじめてだった。しかも、話題になった小説のほうではなく、どちらかというと地味な位置づけのエッセイ集を通して彼女を知った。戦争状態になっている土地に身をおいて、誇り高い一族の中に一人よそ者として紛れ込んだ状態で、彼女の語る「ぐるりのこと」を読むことになったというのも、なにかの縁のような気がする。こうした縁というものを、私は大切にしていきたいな。それが今年のささやかな新年の計だ。
by michikonagasaka
| 2009-01-05 23:46
| 本
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