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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2009年 04月 02日
アジアの国々出身の女ともだちで集まって、月に一度くらいのペースでpotluck lunchの会を開催している。毎回、メンバーが順にホストになって、みんなをお招き。訪れる側はなんでもいいから一品持ちより、ホストはご飯を炊いておく。これがルール。
数日前、私がホスト役になり、うちでこのlunchの会を主催。集まったメンバーは、韓国、中国、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、日本・・・と、まるで国連(アジア支部)さながら。そして共通語は英語。 持ち寄る料理がまた豪華。どれもこれも、本当に美味しく、そしてレストランで食すものとはやっぱりどこか違ったhomyなディッシュがずらりとテーブルに並んださまは、まさに圧巻。食べるのとしゃべるのに夢中で、写真をとるのをすっかり忘れてしまったのが今となってはとても悔やまれるところだ。 駐在員妻あり、わけあり永住組あり、キャリア組あり。 生育暦もお国での純粋培養あり、移民組あり、マルチナショナル組あり。 で、毎度、感じることなのだが、彼女たち、本当にたくましい。英語が普通に操れるのはもちろんいうまでもないが、それだけではない。何かこう「舞台は世界よ」といったグローバルな感覚というのだろうか、そこには良くも悪くも(いや、主にいい意味だな、やっぱり)押しの強さみたいなものも含まれるわけだが、世界のどこへ連れて行ってもそれなりにちゃんとやっていけそうな、そんな強さと柔軟さを備えている。 ふと、友人のバイオリニストがいってたことを思い出した。 「アメリカのオーケストラって、一流どころでも前列にずらーっとアジア勢が占めてるのよね。とくに最近はコリアン。米国育ちもいれば、生まれも育ちも韓国という人もいるけど、いずれにしても、彼ら、彼女らは、とにかく根性がちがうもの。日本人はね~、ああいう国際的な舞台になると、なんていうかやさしいっていうか、やわっていうか、大人しいというか。かなわないって感じなのよね」 たかがお気楽ランチの集いとはいえ、同じような感覚を私もなんとなく抱いたのだった。 それにしても我らのこの「押しの弱さ」(自分も含め)ってのは、いったいなんなんでしょう。食生活? 島国根性? 八百万の神の遺伝子? ひとたび(国の、村の、自分たちの仲間うちの)外に出れば、途端に押しが弱いくせして、コンフォタブルに「うち」にとどまっている限り、やれKYだの、うざいだの、といってすぐに村八分をつくろうとする、このメンタリティ。ときに日本的な「やわな部分」にほっとする部分というのは、それはもちろんある。アグレッシブな自己主張の応酬に疲れ果て、もういいじゃん、どうだって、とぜーんぶ水に流したくなっちゃうことだってまれではない。それはそうなのだが、やっぱりセコイ内輪意識みたいなのは苦手だ。日本の新聞の一面をみてみれば、その記事の半分くらいは、要は村八分とかイジメの延長みたいな話。世界の大局的な(と私には思われる)話題そっちのけで、○×党の○△がああいっただの、こういっただの、はたまた検察の国策摘発がどうしたこうしただの、と、そんな話題ばっかり。 少なくとも、そういうところから自由でいられるという意味で、外国暮らしにはそれなりの快適さもあるのである。アジアの友たちの輪の中で、私はなかなか居心地がいい。
by michikonagasaka
| 2009-04-02 03:29
| 身辺雑記
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