序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分くらいになりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお洒落とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「神話 フランス女」 近著 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」(角川書店) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2018年 04月 24日
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by michikonagasaka
| 2018-04-24 05:00
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2017年 03月 16日
113人に一人が難民という世界に私たちは暮らしています。遠いどこかで難民が生まれるという現実の背景には、戦争、紛争、独裁政権といった「現地のできごと」だけでなく、政治的経済的軍事的に直接的間接的に関わりのあるすべての国々の思惑や行為、そして無関心があるというように私は思ってきました。つまりこの世界に「難民とは無関係」と言い切れる国などほとんどないといってもいいくらい。そうした認識をもとに、シリア等からの大量の難民を受け入れてきたドイツで、難民たち、および彼らを支援する市民たちに取材した聞き書きの書です。 「社会派」の分野での単行本執筆は初めてで難儀しましたが(笑)、なんとか形にすることができてほっとしています。 「初めて」といえばもう一つ、自分の本の発売日にたまたま日本に居合わせたことも実は初めてでした。大型書店に自著が平積みになっている様は、照れくさいような、他人事でもあるような。周りにはところどころ、著者手書きの「色紙」がぶら下がっていて「◯◯書店さんへ」で始まる自筆の挨拶文とサインが書かれていることにも、今回、初めて気が付きました。 なにしろ初めての「社会派」系ですから、力不足で至らぬ点も多々あると思います。ご一読の上、忌憚なきご意見、ご批判などいただければ幸甚です。よろしくお願いいたします。 ▲
by michikonagasaka
| 2017-03-16 08:24
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2016年 03月 19日
![]() 若者はけしからん、というのはいつの世にもいわれることですが、こういう若者たちが日本の外で、世界各地からつながって、大きな仕事をしてくれました。そのことをご紹介するというのが今投稿の趣旨なので、特に解説はいたしませんが、ご覧になってみてくださいね。 自由民主党による「日本国憲法改正草案」 英訳完成に当たっての共同声明 http://www.voyce-jpn.com/#!constitutional-revision-statement-jp/tcz7q 私も最近、地元チューリッヒの大学等に留学してきている学生さんや若い研究者の方々にお会いする機会がたびたびあります。みなさん、たくましくしなやかに頑張っておられる。頼もしいです。 ▲
by michikonagasaka
| 2016-03-19 04:33
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2014年 10月 01日
![]() 普段はいい加減な人間だが、一応、仕事のときは真面目にやる。長年の習慣なので、これはきっとこの先も変わらないと思う。 仕事、と一口にいっても、(本当をいえば)小手先ですーっと片付けられるようなものも実はけっこうある。長年、同じようなことをやっているわけだから、ちょっとはコツも覚えるし、いくばくかのパターンのようなものも出来上がって、そうしようと思えば、さささっと流すことだってできる。そういう類の仕事の依頼も、正直なところ少なくない。 でもそれをいっちゃあおしまいだろうと思うから、どんな小さな、どんな「簡単な」仕事でも、これで私、相当、一生懸命やるのである。いわゆる「時給」的観点からみたら、どう考えても割に合わない、それはもちろんそうなのだけれど、いいのだ、そんなことはどうだって。 さて、そのような日々の中、常にもまして一生懸命取り組んでしまう仕事というのが時々あって、それはまずはテーマが面白いとき。次いで、一緒に仕事をする人間関係に恵まれているとき。机の上はとっちらかり、頭の中もとっちらかるが、そのカオスの中で一つ、また一つとレンガを積み上げていく道程というのは、それはもう「小手先」などということとはまったく無関係の、ただただ静かで地味で豊かな時間。 というわけで、最近の仕事の中で、そうした恵まれた位置づけにあったのが、現在発売中の「家庭画報」掲載、カルティエのパンテール・コレクションのページだ。詳しいことは省くけれど、この名高いコレクションの生みの親であり、当時のカルティエ・ディレクターだったルイ・カルティエ氏の「愛人だったといわれている」女性、ジャンヌ・トゥーサンに焦点をあてて書いた記事。ベルエポックから二つの大戦をへて、1970年代まで、女性としてもクリエイターとしても生涯現役であり続けた、このベルギー出身の女性のことは、だがごく最近まで、フランス国内ですら、ほとんど知られていなかった。そんな彼女の「人となり」を、取材や資料を通して掘り起こしていく作業は、まるで一人の女性の生涯を一緒に生きていくような臨場感と高揚感をもたらしてくれて、本当に楽しかった。 もちろん誌面には限りがある(それも、すごくある)ので、知り得たこと、感じ得たことのすべてをそこに記すことは到底不可能。ダイジェストとしかいいようのない仕方でしか、それを表現できない寂しさはあるものの、100のことを1にする、という作業そのものもまた、実はこれはこれで楽しいことなのだ。全部を見せない、出さないどころか、ほとんどすべては見せられない、出せないという縛りの中で、少しでもエッセンスを表現することができたのならば、それはどんなに嬉しいことだろう。 美容院などで、パラパラっとご覧になっていただければ幸いです。 ▲
by michikonagasaka
| 2014-10-01 01:11
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2013年 05月 07日
![]() しかも評者は「ちいさいおうち」の中島京子さん。以前、中島さんと池澤夏樹さんの対談を読んで以来、私自身が彼女の熱心な読者でもあったので、ことのほか、嬉しかったです。もともと女性読者の方のほうが多いようなのですが、日経新聞あたりに書評が載ると、一気に男性の方にも手にとっていただける。それもまた嬉しいことです。 電子版はこちら。 ▲
by michikonagasaka
| 2013-05-07 13:30
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2013年 02月 19日
![]() 数年ぶりに小さな本を上梓いたしました。 「モザイク一家の国境なき人生」 光文社新書 意図して計画的にそうなったのでは決してなく、運命の成り行きで巻き込まれることになった「家族」。それはややこしくしんどいことの多い反面、私自身の世界観に大きな大転換をもたらす、見晴らしのよい小窓のようなものでした。小窓のガラス扉を開け放ち、そこから空飛ぶ絨毯に乗って時空を旅するような感覚といったらいいでしょうか。冒険ともいえるし、泥沼ともいえる。けれどそれは決して英雄的なものなどではなく、ごくささやかでカオティックな日常の連続以外のなにものでもありません。そんなようなあれこれを、とつとつと綴った物語です。 お手にとってパラパラと拾い読みしていただければ大変光栄ですし、ご感想、ご批判など、どんなフィードバックも大歓迎です。 【目次】 はじめに プロローグ モザイク一家の登場人物(一部) I テルアビブ、2008年 II パリのアメリカ人、1990年 III ユタの山奥から、1954年 IV スイスでの暮らし。そして子どもたち V 国境について、考える VI 「ワールドビレッジ」という国、または無国籍な人々 VII テルアビブ、2010年 エピローグ 多磨墓地へお参り 参考文献 私的世界史年表 あとがき *スイス国内の読者の方には直接ご購入いただけます。左のコンタクト欄より、お名前、ご住所、ご希望冊数をお知らせください。送料込みで12CHF(一冊)です。 ▲
by michikonagasaka
| 2013-02-19 20:04
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2012年 11月 14日
![]() 日経トレンディに新記事がアップされました。今回はスイスのワインについて。 実はこのガラディナー、毎年、著名政治家が主賓で登場するのですが、今年のウエリ・マウアー氏をはじめ、いつも国民党の代議士なのですね。スイスの国民党といえば、移民排斥で知られる極右イメージの政党なのですが、もとはといえば基盤支持団体は農民たち。スイスの大地(いや、スイスの場合は大地というイメージでもないけど)と共に生き、食物を育て、伝統的価値観をよしとする素朴な人たちが、その素朴さを持って祖国を愛するーーそういう構図というのは都市部に暮らしているとなかなか見えてこないというか、実感が湧きにくいもの。それが今回のイベントに出席してみて、なんだか途端によくわかってしまった。そういう実感がありました。 移民排斥といったって、農村やワイン畑で生を営む彼らは、そもそも「ガイジン」なんかとはほとんど縁がなく、ほぼ見たこともない、といった暮らし向きの人が大半。そういう彼らが、よくわからぬまま、スイスへの愛着に突き動かされて「移民はけしからん」という漠然とした思いを抱いているということなのでしょう。いや、もっというならば、国民党の党是のうちのこの「移民排斥」という部分は、彼らにとっては実はどうでもいいことで、それよりも、美しくのどかで平和なスイスがずっとこのままであって欲しいという、ただ、そうした思いだけで一票を投じているんでしょう。 そんなことを取材の帰り道、深夜の電車の中で思いました。それにしても記事中で触れているワインSyrah Réserve 2010はものすごく美味しかった。あれこれ手当り次第に試飲しましたが(他の人がみんなそうしていたから)、一晩でこれだけ多種類のワインを飲んだのは人生初だったかも、です。電車でなくて車で行っていたとしたら、今頃、こうしてブログ記事を書いていることもなかったであろうと思われます(確信しています)。 ▲
by michikonagasaka
| 2012-11-14 14:00
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2012年 11月 04日
![]() 少し前に、スイスのウェブTVマガジンが取材にきて、インタビューを受けました。以前、別のテレビ番組に出演したときは、あんまり恥ずかしいので誰にもいわずにいたら、偶然発見した人からいくつも問い合わせを受け、回り回って噂を聞きつけた友人たちからは「なんで知らせないのよ、水臭い」とお叱りを受けたので、今回はここでお知らせしておきます。 私が細々と展開しているフェアトレード事業の関連から、「フェアトレードとファッション」というのが今回の主テーマでしたが、インタビューをつとめたディレクター氏、どんどん質問が脱線し、二時間ほどの予定と聞いていたのに、気づいたらなんと6時間も経過。それを数分のフィルムに編集するのもさぞかし大変だっただろうとご苦労がしのばれるところです。 毎度、このようなことがあるたびにつくづく思います。私は黒子のほうが向いてるなあと。一人、部屋にこもってコツコツなにかを書いたりするほうが、よっぽど「自分らしい」なあと。インタビューする側には何百回も立っているけれど、「される側」というのは毎回、今ひとつ居心地がよくありません。 ま、御託はそのへんでやめておきましょう。リンクはこちらです(インタビューはフランス語、それにドイツ語の字幕がついています)。 ▲
by michikonagasaka
| 2012-11-04 22:02
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2012年 07月 26日
定期的に寄稿している日経トレンディ、World Trend Watchに、今回はスイスにおける安楽死(自殺幇助)の状況をレポート。先月、ヴォー州で行なわれた住民投票にこの件をめぐる案件があり、結果、スイスではじめて医療施設や介護施設内における自殺幇助のあり方についての法制化が実現した。そのことを受けて、現状や今後の見通しなどに触れた記事だ。
記事内でも触れているように、スイスでは年間500人以上の人が、安楽死という選択をしている。また、現行法の枠組みの中で安楽死は違法ではなく、これを援助する機関が二つあって、外国からの「安楽死ツーリスム」の存在も広く知られているところ。なにしろ、スイスはオランダ、ベルギー、ルクセンブルクと並ぶ「ヨーロッパでも実は例外的な安楽死オッケーの国」だからである。そしてそんな国の国民たちの多くが、「安楽死を本人が望むなら、もちろんオッケーじゃないの?」という意識をもっていることも周知の事実である。 それはそれでいいとして、じゃあ、自分はいざとなったら安楽死を選ぶかな、という話になると、これは今のところ私の場合は「ノー」。別に宗教的、倫理的な理由があるわけではなく、ただ、単純に「それはやめておこう」と思うだけのこと。でもやめておくのはあくまで自分だけのことであって、他の人がそういう選択をすることには、まったく関知せず、というか、それはそれでいいんじゃないの、と、これまた単純にして明快な感想をもっているだけのこと。 じゃあ、「ノー」の理由は何かと聞かれたら、「人生の最後はコントロール不可能な出来事」ということにしておくほうが、自分のスタイルに合っている気がするから。もっというなら、人生の最初(誕生)と人生の最後(死)、この二つだけは自力ではいかんともしがたい神秘の領域の出来事ということにしておきたい。なぜならそのほうが端的に素敵だと思うから。もっとも、今現在、私自身には堪え難い身体の苦痛というようなものは特になく、普通に健康に生きているからそんな呑気なことがいってられる、という部分ももちろんあるとは思う。また、誕生に関してのほうも、たまたま自分には子供が二人授かったから、たとえば「不妊治療」といったオプションをちらりとでも考える機会すらなかった、という事実も謙虚に受け止めておこう。けれど、その上で、あえて公言するならば、「たぶん、いかなる状況にあったとしても、不妊治療というものには自分は手を出さなかっただろうな」と、ほぼ確信している。 しつこいようだけど、これはまったく私の個人的な「好み」の問題であって、他の人が安楽死を選ぼうが、不妊治療に励もうが、それはまったく問題ない。 不治の病の床にあり、痛みや苦痛に苛まれ、意識も混濁としてくるようなことが長く続く状況に、いつの日か自分が置かれた時、その混濁とした意識の中で、できることなら毅然として、「死」が向こうからお迎えにきてくれるまでただそこに生かされてありたいものだ、と思う。外見も内蔵も頭もぼろぼろだったとしても、魂の奥底のほうに何か優雅な芯のようなものを残したまま、お迎えを淡々と待っているようでありたい。机上の空論として、それはいつか空中分解してしまうかもしれないけれど、少なくとも今は、一応そういう心づもりでいる。カッコつけなんだな、たぶん、早い話が。 ▲
by michikonagasaka
| 2012-07-26 18:56
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2012年 06月 04日
日経トレンディaround the worldへ新記事をアップした。今回は、このところご新規&改装が相次ぐスイスのスパ事情をリポート。今さらスパでもないか、という気がしないでもなかったが、確かにスイスのスパには、世界標準とはちょっと異なる“スイススタイル”というものが、とりわけ建築において顕著ではあるので、これを機会に一度さらっておこうと思ったからだ。
記事でも触れているように、ペーター・ズントー(私はドイツ語の発音に近く、ペーターと表記したかったが、日本ではピーターと表記されることも多いらしく、今回は校正さんの指摘に文句をいわず、ピーターのままにしてある)がグリゾン州の山奥に90年代に建てたテルメ・ヴァルスが、いわばスイスのスパ業界のバイブル的リファレンス。ヴァルス以来、スパはまず第一に眉目麗しくなければならない、それも半端な眉目麗しさではなく、一流アーキテクトを起用し、石や木などの天然素材をシャープに使いこなし、なおかつ自然との共生を意識したエコな美しさでなければいけない、という点が、なんというか金科玉条になっているのだ。さらにいえば、スパといえどもそれはいわゆる「女子供」を満足させる美意識では全然駄目で、あくまで男っぽく(と、これはかなり乱暴で無批判な形容詞だけれど)、かっこ良く上質でなければ話にならない。 私も世界のあちこちで、ぽつりぽつりとスパを体験したけれど、こと眉目麗しさという点において、スイスにまさる場所はない、というのが当面の結論。昔からある湯治場としての施設の中には相変わらずダサいものがたくさんあるけれど(そして、そういう場もあっていい、ともちろん思うけれど)、近頃、新しく作られたところ、または鳴りもの入りで改装されたところに限っていえば、清潔度やスパ施設そのものの充実度も文句なく、全体においてかなりの高レベルといえると思う。 ただ、これはいかにも惜しまれることなのだが、いかんせんサービスが悪いところが多い。日頃から苦々しく思うことだけれど、スイスという国は接客のサービスが一般にかなり悪い。客が待つ間、平気で友だちと電話してる店員とか、笑顔ゼロどころか怒った顔で接客するウェイターとか、閉店20分前なのにがちゃがちゃ戸締まりを始めて、客を入れてくれない店とか、バーコードでピっとやったあと、すごい勢いで商品を投げつける(卵が割れるってば)スーパーのレジのおばさんとか、とにかく「感じ悪い」接客シーンは日常のいたるところで後を絶たない。「和光のサービスを」、とはいわないけれど、せめてもう少し、こう感じよくできないもんかね、と、毎日のように思う。そして、その弱点はスパにおいても残念ながら見事に露呈されていることを、私は自ら体を張ってスパ体験を積んだ経験からよ〜く知っている。 日本のマニュアル通りで融通効かないサービスも、またアメリカの表面的な大げさ作り笑いサービスもいかがなものかと思うけれど、いや、嘘でもいいから笑ってくれ、とスイスでは思う。間接照明が美しいお洒落な癒しの空間で、レセプショニストがぷりぷり怒っていたら、マッサージ師がぶっきらぼうだったら、やはり体も心もほぐれにくいではありませんか。素敵なラウンジで飲み物を注文したのにちっとも持って来てくれないどころか、やっと来たかと思ったら、テーブルにガッチャンと音をたてて置かれたのであれば、あ〜あとため息が出るではありませんか。 と、私一人が苦言を呈しても、一国の文化や習慣が変わってくれるはずもなく、ならばそこは目をつむるしかないのかな、と煮え切らない思いだ。 「山国の民だからしょうがない」 スイスの国民性を評して、フランス人の友人が吐き捨てるようにいった言葉が印象的だった。いわく、山国の民は閉鎖的で非社交的、よくいえばシャイだから、接客業にはそもそも向いていないのだ、と。地形や歴史的産業形態が、その地域の人々のメンタリティーに及ぼす多大な影響、というのはまんざらはずれてもいないらしい。 さらにこの場を借りてスイス・スパへの不満を発表するならば、湯温がやや低めなこと、そしてところ構わず二人の世界に没頭しているカップルがあまりに多いことの二点を追加で挙げることができるだろうか。40度は欲しいところ、平均は38度くらいなので、湯上がりがぞくっと寒い点はいかんともしがたいし、右を向いても左を向いても過熱気味に二人の世界に没頭している人々がいると、やはりそこはなんとも落ち着かないものである。なんというか、ほ乳類丸出しで、人間的なもうちょっと高度な官能(あえて待つ、あえてじらせる、その過程こそが色っぽい、みたいな)をこの人たち、わかんないのかな、と、これは余計なお世話ながら、やはりある意味、文化的な差異を強烈に感じて、私はなんだか鼻白むのである。 ▲
by michikonagasaka
| 2012-06-04 04:49
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