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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2020年 03月 22日
![]() (コロナ監禁生活 day 6) 実は、数時間前にずいぶんと時間をかけ、ファクトチェックも抜かりなく、この度のコロナ騒動についてのスイスからのレポート、的なブログ記事を書いたのですが、その執筆中に、監禁生活で苛立ちが募っている家族の人たちがそれぞれに、電話や直接の訪問で闖入してきて、ヴァージニア・ウルフのA room of one's ownの中の有名な一節(や、それほど有名でない他の箇所)を思い出しながら、でもそこはぐっとこらえて「丁寧な聞き役」に徹し、晴れて一人になった段階でさあ、いよいよアップするか、と保存ボタンを押したところ。。。 詳細は省きますが、ともかくwifiの不具合により、全てが消えました。記憶をたぐり寄せながら同じようなことをもう一回書く気力はないので、まったく新たな気持ちで再トライ。 その失われた記事では、わずか一週間ほどで、ここスイス、および近隣諸国においてどれほど急激に状況が変わり、それによって、人々のライフスタイル、そして自分自身の心の状態がどのように変化順応していったか、といったことを時系列で辿った上で、「それにしても、日本、本当に大丈夫なのか?」という疑問を提示する、というのが、大雑把な筋展開でした。 そこでは私自身もいたく感動したメルケル首相のスピーチや、マクロン大統領の「大丈夫です、失業したり、破産したりということは誰一人として起きないように私たちがみなさんを守ります」の啖呵、そしてこちらスイスにおける、冷静沈着、そして丁寧で真摯な連邦内閣の連日の記者会見の様子などを伝えつつ、そして、日に日に厳しさを増す「お達し」の数々や大統領から国民へのメッセージなどを紹介しつつ、さらには表面的には目につかない、けれどとても大切な難民や移民を保護する動き(これは私が個人的に体験したことでした)などにも触れ、要するに、欧州やアメリカなど、自分が知り得る具体的な実体験を通して、事態はいかに深刻かということを綴ったものでした。 深刻である反面、民主主義の根幹である「個人の自由」という大切な価値観とのせめぎ合い、その苦渋に満ちた選択ということ、そして、その選択の背景を出来うる限りの透明性、アカウンタビリティに依拠して国民に開示し、国民の協力を仰ぎ、医療関係者や配達、工事、スーパーのレジ、といった持ち場で頑張っている一人一人への感謝を表明する、そうした信頼に足る政府の姿勢ということにも触れました。 そんな記事を書いていた矢先、例えばこんな記事と写真↓が飛び込んできます。ピリピリした空気の中に暮らすこちらは目が点になります。 大丈夫なの? 本当に? 私は難しい疫学のこととか、統計のこととか、ましてや経済的なダメージのことなど、本当によくわからないので、何かを断言することなど到底できません。けれど、どうやらこのウィルスが引き起こしているらしい出来事、そしてそれに対応する各国の「第二次大戦以来の緊急事態」という態度の中で日々暮らしていると、日本から流れてくる「美味しいご飯」「お花見」「オリンピック」「みんなで乗り切る」みたいな言説やヴィジュアルのどれもこれもが、まるで別世界、おとぎの国の光景に見えてなりません。 二週間ほど前に、それまで呑気だったトランプ大統領が「ヨーロッパからの渡航禁止」を発表したあたりから、緊迫感は実に個人的な仕方で私の暮らしを襲い始めました。長距離フライトをほぼ全てキャンセルしたスイス航空。もはや日本に行くこともできません。つまり、日本の老母やロスの息子に何かがあったとしても、そこに駆けつけることは不可能なのです。 スイスや近隣諸国が依拠しているデータは、イタリアのものであり、韓国のものであり、中国のもの(ある程度、差し引きした上でですが)です。日本のデータは、あまりに検査数が少ないので、それを元に「何かを判断する」ことができないもの、として通常、除外されています。つまり、実際のところ、どうなっているか、というのがこちらにいると全くわからない。 先日、ロックダウン直前のパリで、ドキドキしながらそれでもパン屋さんの列に並んでいたところ、背後から日本人女性二人の声が聞こえてきました。どこかで見たか聞いたかして、2018年全仏ベスト1クロワッサン賞に輝いたその店(たまたま私のアパートの近所)を訪れたのでしょう。いかにも楽しげに、ウインドーに並ぶお菓子などを物色しています。この彼女たちは、果たして、フランスの大統領が前夜に発表したことを知っているのだろうか。国境が閉鎖される前に無事、日本に戻れるだろうか。自らも感染者になって帰国する危険性に気づいているだろうか。 私の懸案が杞憂であることを祈りますが、少なくとも欧州在住の邦人たちがこれは共通に心配していることです。オーバーシュートとかいう、疫学の世界ではまず使われないタームが先だっての専門家委員会の報告書には出ていましたが、その意味するところは一体なんなんでしょうか? 蟄居の日々。私はもともと引きこもりのライフスタイルなので、さして変化はないとはいえ、それでも友人に会ったり、町のバーで一杯飲んだり、コーラスの練習に行ったり、ヨガやバレエのレッスンに出かけたり、ができないというのはなかなか寂しく窮屈なことです。けれど、とりあえず、パリに行ったり、ロックダウンの直前まで、普通にレストランなども行っていた自分が症状なしの感染者であったとしても全然不思議ではない。そこがそもそも蟄居の原点。つまり、自分はまあいいとしても、高齢者や持病のある人に移してはいけないし、スイスの医療システムをパンクさせていはいけない。ただその一点で、私も、そしてその他多くの人々もみんな家の中で息を潜めて暮らしているのです。お花見も復活祭もありません。春の日本行きも当然キャンセル。残念だけど仕方ない。運動不足でこりゃ太るわな、とか思いながら、でも他にレジャーもないので、ご飯を作っては食べ、ワインのボトルを開けては飲み干し、みたいな毎日です。わずか二週間ほど前まで、ほぼノーマルに暮らしていたことが、ほとんど理解しづらい。それほどの激変。それも驚くほどの速度での激変。それは明日からもまた、続いていくことでしょう。 ともあれ、この騒ぎが少しでも早く収束し、カフェのテラスで乾杯できることを心待ちにしつつ、遠い日本の無事を祈っています。 最後に、カミュの「ペスト」を二十数年ぶりに再読しましたが、さすがに臨場感が迫ります。数ヶ月のペスト猛威が終息しかけるタイミングで街に現れる猫。日々、患者の治療に明け暮れる主人公とその友人が、ある夜、海で泳ぐシーン。主人公と母親との会話。次第にアパシーの状態に落ちていく人間たち。別離とその後。ヒロイックな行為と、シンプルな善意。変わる人、変わらぬ人。それぞれのビフォー&アフター。そして、そうした諸々にもかかわらず、人間という種全体への愛着と信頼。そんなことを思いながら一気に読みました。私は家にあった原語で読みましたが、そろそろどこかから新訳が出るといいのにな、とも思ったことでした。
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by michikonagasaka
| 2020-03-22 08:13
| 身辺雑記
2020年 03月 04日
初めて訪れるパリのコンサートホール「フィルハーモニー・ドゥ・パリ」。遠い20区の果てにあるようなので、遅れちゃ大変と早めに出たら、友達との待ち合わせの30分前に着いてしまった。寒い日だったのでとりあえず道を挟んだ反対側のカフェに飛び込み、ビールを一杯注文。妙に人懐こい店のおじさんが、まあ、例によって色々軽口たたくんですね。適当に相槌打ちながら、ビールをゆっくり飲んでいたら、あっという間に30分。勘定払って、さあ、そろそろ行こうか、という段になったらそのおじさん、「知ってますかい? 今晩はお向かいにジャポネのオーケストラが来るんですよ」と、何やらとっておきの秘密でも耳打ちするような口ぶり。しかも、やや自慢げですらある。一瞬、なんのことかよくわからず、「へーそうなんですか」と間の抜けた答えを発したその1秒後に、ああ、それ、それ、と事の次第を理解する。 「はいはい、そのために来たんですよ」 「おーそうですか、それはお目が高い」とおじさん、太めの親指を勢いよく突き出してウインク。そして席を立った私の背中に向けて「ボン・コンセール(良いコンサートを)!」 どこまでもご機嫌で愛想の良いおじさんだ。 そのジャポネのオーケストラ、というのはNHK交響楽団。ヨーロッパツアー中の同楽団が私のパリ滞在中のこの日、たまたまパリでコンサートをするというので、友人を誘って聴きに来てみたたところ、これが大変に素晴らしいコンサートだった。まずはホールが素晴らしい。音響の椅子も照明も、どれもが大変よくできている。 この夜のプログラムは武満徹、ベートーヴェン、ブルックナー。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。そして真ん中のベートーヴェンはピアノコンチェルト三番ハ短調でソリストはカティア・ブニアティシヴィリ。N響との付き合いが長いだけあって、ヤルヴィとオケとの息がぴったりあって、自由自在なテンポの変化にも、全く問題なく綺麗な音がきちんと揃って、それでいてくつろいだ伸びやかさがあってとても心地よい。今日はどんな水着姿、もとい、お召し物で現れるのだろうかと楽しみにしていたカティアは、パフスリーブにバルーンロングのドレスで、いつもより肌の露出はぐっと少なく、何かのメルヘンのプリンセスのよう。気のせいか、これまでのカティアよりぐんと成熟度を増し、奏でる音の一つ一つのなんと綺麗で深いこと。ピアニッシモの、ルバートのなんと美しい事。クラリネットとの掛け合いの、なんと官能的なこと。 楽章の間に結構盛大な拍手が鳴るのは、はて、これはもしや最近の流行りなのだろうか、と私はやや戸惑ったが、演奏者たちも特に気にする様子もなく、おおらかな雰囲気のまま最後の音まで一気に進む。パリの観客の温かいブラヴォーと拍手が鳴り響く。エヌアッシュカー(NHK)、なかなかやるじゃないか。パリの観客も、そして長年、N響を聴いて来た私も、同じように感じたと思う。 実はこのコンサートがあった日(先週の火曜日)、ラジオを聴いていたら「フランス国内・コロナウィルスの最後の感染者も無事、快癒し、本日、自宅に戻りました。これでフランスでは感染者はゼロになりました」というニュースがアナウンサーのやや得意げな声で伝えられていた。そうなのか、ゼロなのか、フランスは。 コロナ・ゼロの国の余裕なんだか、件のカフェのおじさんはもちろん、どこで誰と出会っても、みんなごく普通の態度で、巷で騒がれているアジア人差別的なことも、私は一度も体験しなかった(一ヶ月前、コロナがまだ「新しいニュース」だった頃、フランスでもアジア人差別が過熱した、というニュースに触れたし、私自身も「あれ?」という瞬間がないことはなかったが、今回は皆無だった)。もちろんイベント自粛などの動きもその時点では一切なく、だからその夜のコンサートも満員御礼で無事終了したわけなのであったが、以来、わずか一週間の間にフランスの感染者は0から212人に急増。死者も4人が確認されており、マスクの品切れも報告されている。ルーブル美術館は従業員の労働法で保障されている撤退権(生命や健康に差し迫った重大な危険がある場合に仕事から退く権利)の行使で急遽閉館に(ル・モンド紙(2020年3月3日))。 私が暮らすスイスでも、ここ一週間で感染者が39人となり、1000人以上の室内イベントが禁止され、職場や学校、役所などに感染を抑えるための「注意事項ガイドライン」が一斉に配られた。手洗いやうがいの励行はもちろん、握手やほっぺのキスも「できれば避けるように」、そして「症状が出たらまずは自宅で様子を見て、心配ならば0000番へ」という相談窓口も設けられた。アイスホッケーやサッカーのリーグ試合、ジュネーブのモーターショーや時計サロンなど、大きなイベントの多くがすでにキャンセルに追い込まれ、スーパーでは小麦、パスタ、米、それにハンドソープや消毒液、生理用品などの棚がガラガラになっている。 自分がかかるのも嫌だけれど、たいした症状も出ないまま、実は感染していてお年寄りに移したりしたら嫌だなと思うから、ここしばらく、手洗い励行しすぎてもうカサカサなんてものじゃなく、ハンドクリームをつけた途端にトイレに行きたくなって、ついつい、わ、もったいない、と思ってしまう自分の滑稽さに苦笑し続ける、そんな毎日である。もちろん、日本の後手後手のコロナ対策状況も逐一、ソーシャルメディアを通じて伝わってくる。三月末に予定していた私自身の日本行きも、同行者(イスラエル人)たちがお国で日本渡航禁止になっているとかで、おそらくはキャンセルすることになるだろう。そんなこんなでいきおい気も滅入る。 冒頭のコンサートの話ではないけれど、気が滅入りがちなこんな時は、例えば音楽が大いなる慰めになる。幸い、今週日曜に予定されている合唱のコンサートは今のところ予定通り行われる模様。今週はリハーサルがあと2回。合間にラジオで音楽聴いたり、家でピアノに触ったり(長患いの腱鞘炎がやっと治ったので!)。歌ったり弾いたり聴いたりしている間は、とりあえずシンプルに楽しい。 日本では多くのコンサートがすでにキャンセルになっていると聞く。欧州でも、内容や規模によってはキャンセルになったり、あるいは無観客コンサートという選択をする主催者もあるようだ。わずか一週間前の呑気で楽しかったコンサート風景が、カフェのおじさんの陽気な声が、はるか昔の出来事のように思われる。 日本ではカミュの「ペスト」が急遽増刷だとか。二週間前に多くの感染者が出たイタリアでも「ペスト」が今、大売れなのだという。そのカミュの国、フランスでは、だがまだ「目に見えた大幅な売り上げ増加」はないとか。2016年のテロの後にはヘミングウェイの「移動祝祭日」が、そしてノートルダム寺院の火災の後にはヴィクトル・ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」が爆発的に売れたというが、「ペスト」がそれに匹敵する「現象」になるのも時間の問題だろうか。なんでも小説の世界にも「伝染病ジャンル」とくくれる一連の作品があるとか。 そう、音楽と合わせて、文学もまた、人心荒み不安蔓延のこんな時、人々の慰めとなり、力となるのかもしれない。それにしても、渦中にあって、そのものズバリの文学ジャンルを求める人間の心理というのは、ちょっとわかるようでわからない。「ペスト」はむしろ、伝染病の心配などのない平時にこそ読みたいかな、と私などは思うのだ。作り事の世界(小説)はハウツーものと違って「問題解決」のいとぐちに直結しない素晴らしさが逆にある。風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな本の売れ方というのもどうなのかなあ・・・(笑)。 というわけで、今週の日曜日、3月8日、17時より、チューリッヒのノイミュンスター教会でお会いできたら嬉しいです❤️
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by michikonagasaka
| 2020-03-04 07:49
2020年 02月 12日
![]() Sさん一家とはもうかれこれ20年余りの付き合いになるだろうか。うちに食事に来たことも何度もあるし、逆にこちらがお呼ばれしたことも何度もあった。3人の子供たちはそれぞれ進学や就職で家を離れ、Sさん夫妻はアパートに越して、生活サイズを縮小し始めている、と聞いたのが一年ほど前だったろうか。 「こんにちは〜」 先方と目があったので、軽やかに言葉をかけた。次いでこちら式のほっぺ同士を合わせる挨拶をすべく、彼女の肩に手をかけた。 あれ? 彼女の頬がこっちに寄ってこない。これまで20年、会うたびに交わしてきた挨拶。体に染み付いたその自然な動きが、相手が軽く身をかわしたことで、突如、ひどく宙ぶらりんなものになり、私は当惑した。 気のせいだろうか、いや、そうでもないみたい。 その瞬間に私にはわかってしまったのだ、これがコロナのせいである、ということが。 「みなさん、お元気だった?」 自らの咄嗟の反応に彼女自身もあるいは戸惑い、何がしかの罪悪感でも抱いただろうか。まるで気を取り直したように明るく尋ねてきた。 「いえね、○○(私の連れ合いの名前)がここ一週間ほど、ちょっと具合悪くてふせっちゃっててね」 そう私が答えた瞬間、Sさんの体がピクリとこわばるのがわかった。 「インフルエンザにかかっちゃって」 彼女の気を楽にしてあげようと、聞かれもしないのに私はわざわざ病名を開示した。やはり瞬時に、彼女がホッとするのがわかった。 その後、数分、当たり障りのない会話を交わし、「それじゃまたね」と手を振って(今度は私の方からあえて、ほっぺた挨拶を仕向けなかった)私はSさんと別れたわけなのだけれど。 Sさんは何しろ私のこと、よく知っているのだ。私が中国出身でないことも、スイス在住の身であることも当然、知っている。でも久しぶりに予期せぬところでばったり再会したその瞬間、私の「この顔」が、彼女に「あの反応」をさせたのである。 いや、もちろん、ドイツでもイギリスでも感染者が報告されているから、私が感染者でないという保証はもちろんないし、Sさんには内緒にしておいたが、二週間ほど前、私は日本から帰ってきたばかりで、その日本で滞在したホテルには中国からの観光客がたくさん滞在していた。母や弟と訪ねた富士山も、中国人観光客であふれかえっていた。帰りの成田空港では、マスクをしている人の姿がそろそろ目立ち始めるタイミングでもあった。 いささか不意打ちを食らった感があったとはいえ、Sさんのこの振る舞いを、人種差別だ、アジア人差別だ、と糾弾する気には実はなれない。ましてや、よくありがちな「中国人に間違えられた」「一緒にされた」と憮然とするようなことも自分には全くない。ただ、人が人を、ある属性のゆえに恐れたり、嫌ったり、不得意に感じたり、上に見たり下に見たりする時のメカニズムの一端を垣間見た、という感想を抱いたことは確かだ。 家族思いで心優しいSさんの認識にあの時起こったこと。それは私という長年来よく知る個人をすっ飛ばして、その後ろに控える「アジア人」という集団を見てしまったということだ。あの時、彼女にはミチコが見えていなかった。彼女の目に映ったのは、不特定多数の「顔も名前もない」アジア人というエスニック集団なのであり、事実、会話も半ばを過ぎて、ようやく彼女は私の名を「ああ、そういえば」と急に思い出したようにして口にしたのだった。 Sさんのそんな一連の意識の流れをつぶさに観察しながら、一週間前にパリで起きたことを思い出していた。行きのTGVの車中で読んでいた新聞に「コロナウイルスでフランス全土にアジア人差別が広がる」というゾッとする内容の記事を見つけ、ひえーそうなのか、とパリに着く前からすでにほんの少しだけ、憂鬱な気持ちになっていた。そしてその記事がもたらした情報のせいで、パリ滞在中の私は、どこか卑屈で疑心暗鬼だった。そんな気持ちになったのは、パリとの長い付き合いにおいて、実に初めてのことである。 まさかね、と笑い飛ばしたいところではあったが、あにはからんや、わずか一泊二日の滞在中、あれ? という瞬間に、実は二度、遭遇してしまった。 一度目はコーヒーを飲みにカフェに入った時。 「ランチタイムなんで、飲み物だけならこちらにお座りいただけます?」 そう言って店のマダムが私に示した席はドアの外にポツンと一つだけ置かれた小さなテーブル。かろうじてひさし屋根があるとはいえ、外は雨。気温も低い。 「なら、結構です」 憮然と店を後にしたものの、今のはアジア人差別だったのだろうか、という疑念を拭うことができず、なんとなく気が晴れない。 そして二度目。それは停留所でバスを待っていた時のこと。私の隣に中年男女数人のグループがおしゃべりをしながらやはりバスを待っていた。そのうちの一人の女性が、ふと私の姿を認めた。そして次の瞬間、首にしていたスカーフに指をかけ、自分の口と鼻をそれでそっと覆ったのである。 別に見も知らぬ赤の他人に「名前と顔のある一個人」として認識してもらおうなどと大それたことを思って日々暮らしているわけではないけれど、他者から自分に向けられる「十把一絡げ」視線というのはやはりあまり快いものではない。そしてそういう視線を浴びているかも、という意識が芽生えた瞬間に、人は卑屈や被害妄想といった心性にいともたやすく落ちていくのだということを改めて実感したことだった。 しかし、クルーズ船のこと、あんな幽閉状態、ひどくないですか? 全員、直ちに下船させて検査受けてもらって、二週間、どこかに隔離するなり、あるいは必要な方には医療措置を施すなり、するもんなんじゃあ、普通? (というトーンでこちらでは語られているし、私もそうだと思います)
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by michikonagasaka
| 2020-02-12 00:01
| 考えずにはいられない
2020年 01月 20日
![]() 今年は高校卒業40周年なのだそうで、「それを祝し、皆さんで集まりましょう」という案内が届いた。40周年同窓会の会場は東京だが、私が在学していたのは愛知県の公立高校。東大に30人、京大に20人くらい、地元の名古屋大学に50人くらい(数はうろ覚えでめちゃくちゃアバウトだが、とにかく割とたくさん、だったと思う)進学するタイプの進学校だった。 なんとなくその高校時代のことを回想していていて、同窓会には誰が来るんだろうなどと予想しながら、ふっと「ある事実」に気がついて、私は愕然とした。 その学校、一学年10クラス、ひとクラス45人という編成だったが、どのクラスも45人中、男子がきっちり30人、女子がきっちり15人。つまり学年全体では男子300人、女子150人。見事な二対一構造。三学年とも、その割合は同じだ。 当時、愛知県では学校群制度というものが敷かれており、生徒は志望校を直接受験するのではなく、志望校の入る群を受験する。群は全部で15。一つの群に2校ずつ。1群A高校とB高校。2群B高校とC高校、3群C高校とD高校・・・・・・15群J高校とA高校というように、エリアの近い高校二つずつをセットにしてぐるぐるっと一回りして元に戻る、という仕組みだった。 そもそもは当時の知事だった中谷義明氏※の肝いりで「学校間格差をなくす」「教育機会の平等」「競争社会の是正」といった理念に基づく受験制度改革で導入された学校群制度だったと記憶しているが、蓋を開ければ旧制一高とか県立一女といった昔の名門校の流れを引く受験校の入った群の人気がやはり高く、たまたまエリアが近かったという理由だけで、その旧・一高と同じ群に入った母校は、棚ぼた式に県下随一の進学校になったのだった。つまり格差は是正されるどころか、若干の順位変化を伴いつつ、再固定されたというのが本当のところだろう。 さて、たまたま私が「振り分けられた」その進学校の男女差がきっちり2対1であるという事実を、当時、不思議に思う生徒は私を含め、多分誰もいなかった。なんとなくそうしたものだろうと思っていた。一つの群の中のどちらの学校に振り分けられるかは、男女混合単純な成績順で上からA校、B校、A校、B校・・・・と振り分けられると誰もが信じて疑わなかった。だったら男女の割合はその年によって上下するのが道理というものであろう。毎年、同じ比率ということは、明らかに定員数をそのように設定しているから、というのは火を見るより明らかだ。逆に、母校とセットになっていたもう一つの群(私自身はこっちの群を受験)に属するC高は、確か女子の方が人数が多いか半分ずつくらいだった。制服も可愛らしいセーラー服で、私の第一志望は、実はこの「女子に人気の」C高であり、単純な大学進学状況で比較すればC高はB高より偏差値的には劣る学校ということになっていたけれど、そういうことには全く無関心で、単に「制服が可愛い」方に惹かれた無邪気な中三女子だったのである。 両校が入る群(一群)を受ける男女数には年度ごとにばらつきがあったと思う。なのに県下随一の方の高校は毎年、きっちり男女比が2対1で固定されていた。「15の春を泣かせない」という「民主的、人道的な」スローガンと共に実施されていた学校群制度では、受験といったって、恐らくは各中学校への割り当ての目安や指導(誰が指導していたのか? 教育委員会? 日教組? 地方議会?)などもあったのだろう、倍率はどこも⒈01とかそんなようなものに巧みに「調整」されていた。そして、男女の定員差別が明らかに導入されていたのは上位校限定の出来事だったと推測できる。 東京医科大学の例の入試操作問題が話題になった時は「まさかそんなことが」と私も驚いたけれど、40年前の公立高校入試においても、同じようなクオーター性が白日のもとに敷かれ、しかもそれに疑問を抱く人も、いを唱える人もいなかったという「発見」は衝撃だった。 「女の子は大学進学しても数年でお嫁に行く」「勉強しすぎるとお嫁にいけない」」「女に学問は不要」「女の子は地元の大学にしか行かせてもらえない家庭が圧倒的に多い」時代であり、私たち当時の女子がそれでも大学に行き、中には親の反対を猛然と押し切って東京などの大学に進学し、その四年後、さあ就職となった時には雇用機会均等法はまだ敷かれておらず、「自宅通勤のみ採用」「女子は一般職のみ」「採用は短大卒のみ」というのが企業の常識だった。4年生大学出の女子の就職状況は大変厳しく、とはいえ大学院に進学しても、その先、大学の教員になれるのはほぼ男性ばかりというのもまた当時の「常識」だった。そんな時代だから、県下随一の進学校の男女比が2対1に設定されていても誰もなんとも思わなかったのである。 「なんか可哀想すぎだったよね、私たち」 久しぶりに再会した高校同級生女子3人の集まりで、この「2対1」問題を「ねえねえ、ふと気づいたんだけど」と私が持ち出したら、二人とも「わ、マジでそれ、酷くない?」と唖然とした。昼ワインで気炎を上げ、「つまり、人生の各段階で、どう考えても圧倒的不利な状況ばっかりだったんじゃん」と今更ながらに目が開け、そして最後はしみじみとこの世の不平等と無常ぶりにため息をついたのだった。 私大どころかれっきとした公教育の場で、それも「教育機会の平等」を歌い上げて導入された制度でこのようなことが普通にまかり通っていたことに40年後の今も驚きを禁じ得ない(今はそうでないことを祈るばかり)。図らずも日本ではセンター試験が終わったところ。入試制度改革を巡っての議論も喧しく、文科省の迷走ぶり、政治主導の教育改革の危うさや欺瞞を山と見せつけられた一年だったが、親愛なる同級生男子諸君たち、君たちは私たちの二倍も枠があって、全国どこでも好きな大学に行けて、その上に今日の自分があるってこと、時々思い出してくれたら嬉しいです、というか多少は救われますのよ。 ちなみに他の都道府県でもこうしたことは行われていたのだろうか? ※中谷義明氏が晩年、63歳で自殺していたことを今回の記事を書く途中に知り、これまた衝撃だった。 #
by michikonagasaka
| 2020-01-20 08:31
| 考えずにはいられない
2019年 12月 30日
以前、「難民と生きる」という本を書いた時に取材させてもらったCさん(ドイツ在住)と久しぶりに話す機会があった。あの時(2016年当時)、彼の家に住んでいたイラクからの難民一家には、その後、二人目の赤ちゃんが誕生し、難民申請も無事通過した(良かった!)。あと数年経って本人が希望すればドイツ国籍(ということはEUパスポート)の申請も可能なのだという。
その一家、今も変わらずCさんの家に住み続けており、家賃も払っているのだが、彼らは仕事をしていないそうである。ドイツ語もあまり上手くなっていないらしい。家賃は国から支給される難民支援のお金から十分に賄える金額であるとはいえ、さらなる行動や移動の自由を広げるために、そしてドイツ社会の一員となるために、何か仕事をするとか勉強するとかすればいいのに、とCさんは気をもむ。気をもむけれど、相手は子供じゃないし、自由意志を持った個人なのだから、ああせよ、こうせよ、と指示するわけにはいかない。
「なかなかね、難しいよ」 善意で始めた難民支援の多くが、こうした壁にぶつかることを、私はあの時知り合った人々の証言を通し、また私自身がスイスで関わっているささやかなボランティア活動を通じて痛いほど知っている。 そのCさんがいう。 「僕らがこんなに大切だと思っている自由、その不可侵を信じて疑わない自由ってなんなんだろうね」と。 Cさんの仕事の同僚に、中国人女性Mさんがいる。ドイツ本社勤務を経て、現在は上海支社勤務。英語はもちろんのこと、ドイツ語にも堪能。聡明な上、「一年後、五年後、十年後の自分はこうありたい」という具体的目標がとてもはっきりしていて、そこに向かって進む姿には、およそ無駄というものがない。Cさんの家に住む難民一家の「無為徒食」的なのんびり人生とのコントラストは鮮やかなんてもんじゃない。 でも、とCさんは思う。仕事もある、お金もある、目標もある、けれど、自由民主主義的な意味での自由が彼らにはないじゃないか、と。ネット上でもリアルでも検閲ということが日常的にあり、自分の行動が始終筒抜けで監視されているような状況に一体どうしたら耐えられるのだろうか。香港での抵抗運動に、彼ら本土の中国人のマジョリティは決して公の場でコメントを口にしない。いいとも悪いとも言わない。政治的な意見をうっかり口にすることもできないというのは、これまたなんと不自由なことなのだろうか、と。 率直なCさんはその疑問をMさんにぶつけた。するとこんな答えが返ってきたという。 「私は自分の状況を特に不自由だとは思わないわ。それよりドイツのあなた達の方が、法律で禁止されているわけでもないのに、リストラで社員一人クビにするにも頭を悩ませたりして、なんだかとても窮屈に見えるけど」 生真面目なCさんは、ここでまた悩む。そして口には出さず、心の中で独りごつ、とはいえ、従業員一人をリストラする際に葛藤や苦悩を持てる人間であり続けたいものだ、と。 ※ 暮れも押し迫った12月吉日。チューリッヒにて今年最後の映画を見に出かけたところが、これが図らずも、my best film of the yearとなった。それまでのマイベストはケン・ローチの「家族を想うとき(Sorry, we missed you)」だったが、それをゆうに抜く素晴らしさだった。 原題はHors Normes。直訳すれば「規格外」。いずれ日本でも公開されるだろうから詳細は省くが、こちら、Untouchables(邦題「最強のふたり」)を手がけた監督ペア(エリック・トレダノとオリヴィエ・ノカッシュ)による最新作。 強度の自閉症等の青少年達が、病院、施設、学校といった公的なシステムから「締め出されていく」現状の中、そんな彼らの受け皿を担うホームを立ち上げ、運営するブルーノ。方や、パリ郊外の「荒れた街」でチャンスを掴む術もなく、やはり社会からどんどんこぼれ落ちていく若者達に、「働く場所」「学ぶ場所」を提供しつつ「破れかぶれの状況」から救い上げようと奔走するマリック。ブルーノのホームにマリックの落ちこぼれ青年達がヘルパーとして関わることで、万年資金難の両ブロジェクトはなんとか回っていくのだが、そこにシステム側からの検査が入る。不認可、微妙な衛生状態、無資格人材の雇用、などなど、彼らの活動が公の基準を満たしていないことが問題視され、法や制度に則ってお上の側から彼らのプロジェクトにはついに「営業停止」命令が下るのだが・・・・・。 ストーリー上、ブルーノはユダヤ人コミュニティに属し、マリックはムスリムコミュニティに属していることになっており、それぞれの文化やライフスタイルがフランスのメインストリームの脇でひっそりと、けれど逞ましく陽気に居場所を得ている状況が主題の向こう側で通奏低音として有効に流れる。そしてそんな彼らが「受け入れる若者達」にはコミュニティもへったくれもない。毎日生き抜くだけで精一杯だからだ。 社会の「規格」から外れるという意味では、ハンディを抱える青年達やその家族、郊外育ちの落ちこぼれ達、そしてブルーノとマリック、二人のモグリ組織も同じこと。規格ってそもそもなんなのか。そして規格外と烙印を押された個人、この社会に居場所のない人間たちは一体どうやっってサバイバルすればいいのか。 「家族を想うとき」同様、こちらもまた、いわゆる「社会派」というカテゴリーに分類される要素を多分に持っているが、「家族を想うとき」に比べると、社会悪とか社会不正への糾弾トーンはかなり控えめで、その代わりに、どんな登場人物にも「人間らしい感情」、つまり迷いだったり、後悔だったり、絶望だったり、諦念だったり、罪悪感だったり、色気だったりというものを説得力ある仕方で備わせているところがとても良かった。 世の中、そんなに簡単に勧善懲悪で仕切れない。けれどたまたま同じ時代、同じ場所に生を受けた人間同士、なんとかやっていかなければ、なんとかやっていきたいじゃないか、という根源的な願いが抑えても抑えても吹き出てくること、そしてそれを叶えようとそれぞれの分野で、ときにヒロイックに、ときに無言で、ときに、小さな勇気を振り絞って生きている人間たちがいるということ。そんなことを、優しいユーモアのタッチをあちこちに散りばめながら見せてくれた映画だった。はっきりしたメッセージを声高に放つわけでもなく、淡々と丁寧に「人々」を描いた先に、「これ」という結論もカタルシスももたらされないオープンエンドな終わり方、というフランス映画の王道を行く作り。制作に先立ち、実存の施設に監督二人が2年間、具体的に関わり、観察し、多くの体験を共有するという準備期間があったという。 ※ ![]() シンガポールの友人があるときこんなことを言っていた。話はチューインガムが禁止だの、ドラッグは死刑だの、「なにそれ?」というがんじがらめの法制度に私が軽い疑問を呈したときのことだった。 「いやさ、何しろ我々の多くはもともと中国民族からきてるからね。法や厳罰でがんじがらめにしないことにはとんでもない無法地帯になっちゃうと思うんだよ。このくらいがちょうどいいのさ」 うーん、そうなのか? とその時はよくわからなかったし、今もまだ、だからといって法や厳罰、それにセンサーシップで抑え付けられた社会なんてのは私はやだな、やっぱり、という心情に変わりはない。 かたや、あちこちに気を遣い、忖度し、口をつぐみ、同じリクルートスーツを着、タピオカに一斉にどよめき、パワハラ、セクハラ、マタハラ、モラハラ、ブラックにあまり文句も言わぬ日本人。シンガポールのケースとは逆に、こちらは憲法や法律でしつこいほどに「自由」を保証しておかなければ、きっととんでもないことになるだろう。いや、それでも平時には(というのは戦争がないとき、ということだけでなく、経済や社会が比較的、順調にいっているような時も含む)、協調性とか和を尊ぶ文化のポジティブな側面が出てくるけれど、ひとたび、余裕がなくなってくると、これはかなり窮屈な足かせとなって、報道の自由を狭め、公務員の公正をゆがめ、教育の場や職業の場、そして家庭や友人関係といったところにまで息苦しさをもたらす。 弱いものがさらに弱いものをいじめたり差別したりという構図があちこちで勃発し、スケープゴートをみんなで寄ってたかって制裁する、そうして溜飲を下げるという、およそ高貴とは程遠い行動パターンが蔓延する。本屋の店頭に平積みされるヘイト本の数々、電車の中吊り広告で覗き見る、井の中の蛙の島国根性丸出しの恥ずかしくて無知な雑誌記事のタイトルの数々。難民ということで言えば、入管で行われているらしおぞましい人権無視の処遇の数々。 ここまでひどかったっけ? と、昭和の日本の景色をなるべく公平な仕方で思い起こそうとするも、遠い昔のことすぎて正直、よくわからない。 上記の映画では、結局、お役所側が「現状に鑑みれば彼らのような活動の存在意義はないとはいえないだろう」という(ちょっと苦し紛れな、でも大いにヒューマンな)オフィシャル見解を示し、諸々の「不都合点」を「黙認」したことで、ブルーノのホームは存続が可能になり、そうして多くの個人の人生が「最悪なものになること」を免れた。フランスならではのこうした「賢明ないい加減さ」、いざという時にアドリブやインプロヴィゼーションが機能する、そういう自由度の高い文化や習慣に長けていない日本であればこそ、ひとたび法のプロテクションにヒビが入った時、自由がいかに脆いものになりうるか、想像するだに怖くなる。ただでさえ、暗黙の規格の網が縦横に張り巡らされたタイプの社会。規格外であることが、フランスなど比べ物にならないくらいにハンディとなり、糾弾されたり後ろ指さされたり、静かに無視されたりするタイプの社会であればこそ、憲法や法で二重にも三重にも表現の自由、信教の自由、集会、移動の自由その他、あらゆる局面での自由が担保されていなければ、とんでもないことになってしまうんじゃないか。余計なお世話かもしれないけれど、あまりに危なっかしい政治やメディアのあり方を眺めつつ、そこのところ、どうにも心配なのだ。 いい映画を見たよ、という話のつもりが、思わずあちこちに脱線してしまった。そんな脱線ついでに改めて思う、Cさん宅のイラク難民さんたちが、やっと手に入れた自由を享受できることを祈りつつ、でもその自由の中にはもちろん「規格外でいる自由」や「怠ける自由」も含まれていることを忘れてはいけないな、と。自由はなくなった時、その一部が欠けた時にに初めてそのありがたみがわかるものなのだろう。とりわけ、一度、ちゃんとした自由を味わってしまったことのある人間にとっては。 ※ 今年もまた、良い映画や良い本、良い音楽、良いお酒や料理、その他、全ての良き出会いに恵まれた幸せをありがたく思っています。他方、あれこれできなかったこと、しくじったこと、後悔するようなことも当然ながらいろいろあります。ともあれ、今年一年、あちこちで私が書く拙いものをお読みくださり、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いします。 #
by michikonagasaka
| 2019-12-30 02:27
| 身辺雑記
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