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序文にかえて
パリを皮切りに、アメリカ、ロンドン、そしてスイス等、国外が人生の半分以上になりました。多様な人々や文化や言葉に晒されるのがごく当たり前の日常。その中で色々なことを思ったり考えたりします。音楽と文学と哲学とお酒が、たぶん一番好きなことですが、昨今の国内外の状況には、いつまでもapoliticalでいられるはずもなく、ここでもときどき政治のことを書いたりします。
最新刊 「パリ妄想食堂」(角川文庫) 近著 「神話 フランス女」(小学館) 「難民と生きる」(新日本出版社) 「旅に出たナツメヤシ」)(KADOKAWA) 執筆依頼、その他、お問い合わせはmnagasakaアットマークbluewin.chまで カテゴリ
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2019年 11月 26日
![]() この街に住むのはこれが2回目。そして2回目の今回の滞在もはや12年。そんなに長く住んでいるのに、「ジュネーブは寒いですか?」といった質問をしばしば受ける。だからぁ、ジュネーブじゃなくてチューリッヒに住んでるんですよぉと時に訂正し、時に特に訂正もせず。認知度の低い、つまり日本の人々にとってイメージのいだきにくい土地に長らく住んでいることの悲哀、そしてそれとセットになった自由ということをよく思う。 さて、そんな認知度の低い遠いところにまで、律儀に定期刊行物を送り続けてくださるご親切な出版社というのもいくつかあり、例えば、本日、到来した「本の窓」も、そんな出版社の一つ、小学館が発行するPR誌だ。簡単な夕食を済ませ、食後のチーズとワインもいい加減に引き上げて台所を片付け、やれやれ、とほうじ茶を入れて「本の窓」最新号を手に取った。内田洋子さんのエッセイは、毎月楽しみにしている読み物の一つだが、今月号はブルーナという高校の校長先生のお話。よくこれだけスペシャルな人物に出会えるもんだ、と、彼女のエッセイを読むたびに、ドラマに満ち満ちたその出会いの豊かさとバラエティとに瞠目するが、今回もまたしかり。内田さんがブルーナから古典ギリシャ語とラテン語の指南を受けるのは彼女の住まいとは別の、ブルーナが家庭教師用に使っているという一室。本や書類が所狭しと積み重なって足の踏み場もない埃まみれのその部屋を巡り、ブルーナさんの孫のこと、若くして北欧に行ったきり二度と戻ってきていないという娘のこと、クリスマスのこと、そしてそのクリスマス当日に急逝した学者の夫のことなどがそれこそチラ見せ程度の断片のみで綴られ、どうなるのよ、それで、と読者のこちらをドキドキハラハラさせる見事な手法はいつものごとし。驚きのエンディングに、あーあそうきたか、とため息を一つ。「本の窓」をパタリと閉じたその瞬間、目の前に見覚えのない紙切れがひらりと一枚。 ![]() ![]() #
by michikonagasaka
| 2019-11-26 06:30
2019年 10月 14日
![]() 記念すべき10月9日の翌朝の地元紙。 「ライプツィヒ、1989年10月9日のメモリアル」と「ハレのシナゴーグへの攻撃」の二つの見出しが並ぶ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 圧巻のレクラム文庫歴代コレクション。 ![]() マルクヴァルト館長さんの個人コレクションが貴重なミューゼアムに。レクラム家の歴史、東西ドイツ、平和革命、民主主義と世界の今、そして文学愛を熱く語ってくださいました。 ![]() #
by michikonagasaka
| 2019-10-14 01:17
| 考えずにはいられない
2019年 09月 20日
![]() 題名は「Indiennes」。フランス語読みで「アンディエンヌ」と発音します。普通は「インドの」「インド人の」という形容詞、あるいは「インド人女性」という名詞になるこの言葉のもう一つの意味、それは「プリント模様の施された木綿の布」。16世紀にヨーロッパに知られて大きなブームを引き起こしたインド製の布のことをこのように呼ぶのだそうです。 世界の大多数の人の日常にごく普通に浸透している木綿=コットンは、これがヨーロッパに初めて知られた頃には「白いゴールド」と呼ばれ、ウールとも麻ともシルクとも異なるその美しさ、手触り、そして希少価値に、王侯貴族や商人たちが飛びついたといいます。 国内産業のシルクと競合するからという理由で、まもなくフランスではけれどコットンの輸入を全面的に禁止。時の王、ルイ14世の御触れが出されます。さすが太陽王と呼ばれるだけあって、全くこのルイ14世という人のレガシーとはすごいものがあります。ヴェルサイユ宮殿を建て、モリエールやラシーヌをバックアップ、宮廷音楽やバレエもこの人が盛り立てて大きく発展しましたが、まさかコットンにまで彼の手が及んでいたとは。 この展覧会が開かれていたのは中央駅裏にあるLandesmuseum(スイス国立博物館)。その名が示すように(単に「国立」と便宜上訳されていますが、「Landには国、郷土といったニュアンスあり)スイスの歴史や伝統、文化を常設展と企画展で紹介する、いわばスイス国家の文化広報的な位置づけのミューゼウムなのですが、ならば、なぜここでコットン? なんとコットンがヨーロッパで広まる背景にはジュネーブやヌシャテル、ついでグラルスなどで栄えた木綿工場、バーゼルの宣教師たちのインドとの関わり(ヘルマン・ヘッセのおじいさんもこの一人で、実際、インドで数年暮らしていたという)、そして輸入や奴隷貿易などで大いに活躍したヴィンタートゥアの貿易会社などなど、いくつかの大きな「スイス的要因」があったというのですね。宗教革命のさなか、コットン産業黎明期のジュネーブでは当時、フランスで迫害されて逃れてきたユグノー派(プロテスタント)の難民をその労働力として活用したと聞けば、ほほー、そのように木綿布と宗教革命と難民問題がつながるのか、と、ひどく感動するところ。 フランスにトワル・ド・ジュイィの名で知られる独特の一色プリントのコットン地がありますが、驚いたことに(というか私が知らなかっただけか?)、これを生み出した工場にもスイスのヌシャテルあたりから熟練の職人たちが駆り出されて上質のプリント製造作業に寄与したのだとか。さすがはおフランス、お洒落だわあとこっちが勝手に憧れたものが、スイス人によって作られていた、というこれまた歴史のネガフィルムを見せられたような思いにもなるところです。 そしてスイスは植民地支配やってないんだからヨーロッパ列強とは異なり白だもんね、みたいなのは浅はかな希望的解釈であったこともまた、本展覧会ではっきりと判明するのです。コットンを使っての奴隷貿易(ヨーロッパからコットンを売り、その代価に奴隷を買い付け、そしてそれを新大陸に売るという世にも恐ろしい仕組み)において、スイスは生産者として、また貿易商として、大きく絡み、大きく儲けしたという「誠に不都合な史実」も、この展覧会ではきっちりと紹介されています。 これ以上はネタバレになるので書きませんが、美しい布地を縦糸にして、数世紀に渡る清濁諸々の歴史や人間ドラマを織り込んでいく意欲的なキュレーションは、まさに上質の織物のよう。スイスの展覧会にしては珍しく「撮影禁止」だったので(時間を見ようとして携帯出した瞬間、背後に警備員のおじさんがやってきて、一瞬ここは日本かと)、その美しい布地の数々はここでご紹介できないのがちょっと残念。 (おまけ) この展覧会を出たところにあるホールで「ハイジ」と題されたミニ展覧会が同時に開催されていて、そこではあのアニメ「ハイジ」制作のプロセス(スイスにおけるロケハンの模様とか)やオリジナルの下書きなどが色々展示されていました。NHKとカルピスこども劇場しか閲覧を許されなかった子供時代を送った私にとって、ハイジは数少ない「刺激的な娯楽」でしたからね、わあ、こんな風にしてあの顔が、あの家が、あのアルムの森の木が、あのユキちゃんの歩き方が、あのチーズとパンが、あのロッテンマイヤーやセバスチャンやフランクフルトの家のイメージが生まれたのか、といちいち感心しながら同時にニヤニヤ。これまた楽しい「おまけ」でした。
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by michikonagasaka
| 2019-09-20 02:58
| 身辺雑記
2019年 09月 18日
ソーシャルメディアのタイムラインに流れてくる無数の言葉の連なりから、それでもなんとか、この頃の日本の空気というものを読もう、体感しよう、と努めるにつけ、やるせない気分になる。もしかしたら誇張された一部切り取り的な絵を私は見ているのかもしれない。だがその絵の向こうに広がる、鳴りを潜めた人々の息遣いや声にならない声は、これが私が生まれ育った国なのか、という驚き、そして失望と哀しみに直結する。
それにしても、なぜ、私は失望し、哀しむのか。オルバン政権下のハンガリー、トランプ政権下のアメリカ、ネタニヤフ政権化のイスラエル、そして香港で今現在起こっていること、ザクセンやブランデンブルクの空気。そうした世界情勢の断片の一つ一つがもちろん私の憂いの要素になっていることは間違いないのだけれど、とりわけ日本の現状は応える。ズキンズキンと身に心に応えてしまうのである。対岸の火事と知らん顔を決め込むことのできない何かがそこにある。 昨今の日本で政体や時の為政者、その政策や思想(または思想の欠如)などを批判しようものならすぐに飛んでくる「反日」「非国民」「売国奴」といったボキャブラリー。私のようなマイナーな物書きのところにすら、そうした罵声はしばしば飛んでくるのであり、その度に「は? なんで?」とその罵声の主が信じて疑わない「日本人」というアイデンティティとやらに愕然となる。いや、罵声は遠くの見知らぬ人から飛んでくるのみならず、すぐ近いところで、親しい人から何気なく放たれる「嫌韓」的な一言の中にも潜んでいる。彼らがそこまで必死にすがろうとする「日本人」というアイデンティティとはそもそもなんなのか。 たまたまある土地に生まれ落ち、その結果としてそこの国籍を取得するところまでは完全に偶然の賜物。その後、その国(土地)の言語や文化、社会の仕組みの中で暮らし続けるところから育まれる愛着や居心地の良さは後天的なもの。とはいえ、何れにしても、自分が意志的に選び取ったものでないことは確かだ(その点、止むに止まれぬ事情、またはある種のチョイスによって移民する場合は意志が介在してくる)。偶然とその後のいわば慣性の法則的な流れによって醸成されるらしいアイデンティティをもってして、なぜ別の偶然によって生まれる別のアイデンティティを嫌ったりバカにしたりすることができるのか。何をもって自分の偶然的アイデンティティとそれ以外のものについて優劣をつけうるのか。 そんなことをあれこれ考えていた矢先、素敵な番組を見ました。 先週金曜日、9月13日はクララ・シューマンの生誕からちょうど200年。この機会にドイツはもとよりフランスやスイスでは(そしてたぶん他の国でも)ラジオやテレビで特別番組が組まれていました。そのうちの一つ、これは独仏共同の文化放送局ARTEの共同制作番組。 シューマンの妻であると同時に類いまれなるピアニスト(同時代、リスト以外に肩を並べうるピアニストはいなかった由)であり、作曲家であり、そして8人の子供の母親でもあったというスーパーウーマン、クララの生涯を美しい映像と貴重な資料やインタビューで構成した秀逸な番組。 ドイツ語かフランス語が分かる方はぜひご覧になってくださいね。 で、この機会に改めて思ったのですが、こんな共同放送局を発足させ(公共と思っていたら私企業だったのですね)、素晴らしい番組を両国が作り続けてきた背景にはおそらく先の大戦の記憶と反省があります。敵国同士だった両国が、もう二度とあんな惨禍は起こすまい、と決意を固めた結果、欧州連合が生まれたわけですが、公営私営問わずこうした文化的な共同作業の歩みもまたその決意の現れとして位置付けられ得るでしょう。 音楽を始め、文化芸術がかつての敵国を一つにする。なんと希望の持てる努力の形でしょうか。 翻って、日本と韓国の間の昨今の状況は本当に一体どうしたことなのか。正気とは思われないヘイトの煽動。乗ずるメディア、煽られて乗っかる人々。 なんでも欧州を見習えと言うつもりは毛頭ないけれど、ご近所同士、共有する文化的遺産や伝統、価値観やライフスタイルがあり、けれど違いもたくさんあるお隣さんと仲良くしなくてどうしようというのでしょう。才能に溢れ、けれど苦渋や困難とはずっと縁の切れなかったクララの生涯を追いながら、そんなふうに色々もの思わずにはいられませんでした。 大昔、パリに住んでいた頃よりARTEは大好きでしたが、あの頃は地上波で夜間だけの放送でしたっけ。デジタル放送もなければ、こんなふうにシェアするようなことも想像だにできず。デジタル版も両国の知恵やデザイン、最新のテクノロジーを上手に組み合わせてとても使い勝手の良い出来になっています。 日韓でもこんな共同放送の仕組みができたらどんなに楽しく豊かなことでしょう。 #
by michikonagasaka
| 2019-09-18 05:47
| 考えずにはいられない
2019年 06月 27日
![]() イスラエルに限らず、中東方面の人たちとの付き合いは非常に濃厚なスタイルを取ることが多く、ホテル滞在の彼らとは朝食こそ別々だが、そしてベッドも共にしないが、それ以外は昼も夜も一緒、その間の町歩きも一緒。それが数日続く。しかもその間、ずっと喋っている。一生の間に発する言葉数、という点で、どう考えても世界列強に比して圧倒的に少ないと思われる祖国(まどろっこしい言い方ですが、つまり日本、ですね)をもつ私には、これがほんのかすかに負担になるが、そこはさすがに付き合いが長いだけあって、疲れたらぼーっと話半ばに聞いてるだけ、という「間」を時折挿入することでなんとかバランスを保つコツも板につき、結果、総じて楽しい時間と相成る。 さて、枕はここまで。そんな彼らとフランス語圏の山へ車で出かける道中、話が「パリ」のことになった。「この辺りからフランス語圏になるよ、ほら、標識もいきなりフランス語でしょう」と教えてあげたことがきっかけだっただろうか。 「あんた達のパリ好きはわかるけどさ、私ら、実は筋金入りのアンチ・パリ派なんだよね」と妻のM。 「んだんだ」と夫のN。 「え、なんで嫌いなの?」とやぶ蛇質問をぶつけずにおれぬ私。 レストランで無礼な扱いを受けた、フランス語がわからないとバカにされる、誰も英語を喋ってくれない、ご飯がまずかった、自分たちが洗練されてるから、そうでないよそ者を見下してるようなところがある・・・等々、まるで「ステレオタイプのテキストブック」かと思われるような個人的体験の開示が続く。 ふんふん、と聞きながら、そして時に「でも最近の若い人はみんな英語すごく上手だよ」などと、こうした場面にはあまり効果的でないどころか、かえって「火に油を注ぐ」ことにもなりかねない虚しい反論を二、三試みたが、途中から諦めた。そして私は自らの認識作業を「観察&内省モード」に切り替えた。 高等教育を受け、世界を広く旅し、複数言語を話す彼らの、この頑なな態度は一体どこからくるのだろう。そして、パリの悪口を言われて自分がいささかムッとするのは何故なのか。自分の好きなものが悪く言われることに起因する落胆や寂しさ。それは自然な感情だけれど、普段、多様性云々、世界市民云々を旗印にしているくせにこれきしのことで凹むとは、まるで無批判的で素朴な国粋主義者みたいではないか。内と外というセクタリズムが自分の中からむくむくと沸き起こってくることにいささか動揺する。おい、自分、どうした、器が小さいぞ! ・・・と、そうしたことをぼんやり考えていた私の耳に飛び込んできたN君の言葉。 「それにパリはアラブ人が多いし」 え、今、何て? 凍りついた私のセンサーに追い討ちをかけるかのように 「ほんと、アラブ人が多くて怖い」とM。 Mのお父さんはホロコーストの生存者であり、お母さんは熱烈なシオニスト。キブツで互いに恋に落ちてイスラエルに住むことを「積極的に選び取った」第一世代。方やNの両親は故郷イラクで迫害されイスラエルに移民したやはり第一世代。そしてMとNはイスラエルの地で生まれ育ち、ヘブライ語を第一言語とする第二世代。彼らの両親も、そしてイスラエルとパレスチナの平和的二国家共存を夢見たアモス・オズやラビン首相といった理想主義者たちも故人となり、今、イスラエルの現役世代のメインストリームはおそらく我が友人夫妻のような人々なのだろう。 いやーこれは大変なこっちゃ、というのがその日の私の正直な感想だった。 貧しく、ちゃんとした教育の機会もなく、大中小の共同体からの洗脳に対して何ら批判的思考を持ち得ぬパレスチナの青少年が憎悪にかられテロに走ることは残念だけれど無理もない、と私はこれまで思ってきた。彼らは圧倒的な弱者なのであるからして、豊かさも安定も教育も見聞も手に入れているイスラエル側が忍耐強く平和を築く努力を続けるしかないでしょう、と思ってきた。世界平和の鍵は、貧困の克服と教育にあると信じ込んできた。 けれど仲良しの友人たちの「アラブ発言」(とその後ろに仄見える感覚、思想)を前にして、たとえ人種差別の犠牲者の親を持ち、しっかりとした教育と自由と繁栄を享受したとしても、内と外のセクタリズムから人はなかなか自由になれないものなのだということを改めて痛感したのである。 連れ合いの友人のアメリカ人にトランプ支持者にして銃保持賛成派という、それだけ聞いたら「うっそお」という人がいる。だがこの彼、うちにも何度も泊まったことがあり、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりと楽しい時間を随分と共有した限りにおいては、普通以上に善良で感じのいいナイスガイなのである。スキーが上手でインストラクターの資格を持ち、だから住まいは雪深いネヴァダ州を選んだらしい。会社ではそんなに偉くはないとみえて50代半ばを過ぎてなお、出張は全てエコノミークラス。ホテルも二つ星。そんなこともまったくいとわぬ、微妙なセクハラ発言など、ちょっとマッチョなきらいは確かにあるものの、基本的につましく真面目な男なのである。 個人としての彼を知らなかったのなら、私はハナから彼とは友達になれない、と思ったことであろう。30年に及ぶ付き合いや共有した笑いや涙の数々がなければ、イスラエルの彼らを私は門前払いしたかもしれない。 原理主義に陥ってはいかんのだ、ということをだから私は痛感する。人間は知性だけで生きているのでもないし、思想やイデオロギーだけで、宗教的民族的アイデンティティだけで、感情だけで、ましてや下半身だけで生きているわけではない。誰かを簡単に糾弾することからは真の平和や友好は生まれない。友人、家族、共同体、仕事仲間。いろんな思想や感覚の持ち主が混じり合っていて当然だし、「にもかかわらず」なんとか仲良くやって行くしかないのである。 来春、イスラエル夫妻を連れて日本に観光旅行に行く予定。ロシアからベルリン、アフリカからガラパゴス(日本の比喩でなく、本当のガラパゴス島)、そして嫌いなパリまでを含め、広く世界を旅した二人にとって、だが日本は全くの初めてだという。賑やかな(というか「やかましい」)珍道中になることは間違いないだろう。ご所望の東京、京都、広島に加え、私は彼らを福井に連れて行ってやろうと目論んでいる。永平寺の美しい修行僧たちに、あの静けさに、彼らはうっとりすることができるだろうか。胡麻豆腐を美味しいと感じてくれるだろうか。 しかし、スイス、暑い! (今日は36度とかって出てた。もちろんクーラーはないので雨戸を閉めきってモグラ化しています) #
by michikonagasaka
| 2019-06-27 06:00
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